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吉田戦車が語る物置のスキー板に秘められた思い出

連載FLASH編集部
記事投稿日:2018.02.08 06:00 最終更新日:2018.02.08 07:47

吉田戦車が語る物置のスキー板に秘められた思い出

 

 最近おニューのスキーを買ったわけではない。

 

 ずいぶん昔に買ったスキーが、今も物置につっこんである。毎年何回かスキー場に通っていたのは、ざっくり20代後半〜40代中頃まで。

 

 バブル期の映画『私をスキーに連れてって』の影響で、友達がみんなスキーをしていて、私もその中にまざった。すぐにバブルは崩壊したが、なんとなくスキー場通いは続いた。

 

「あんなに何十分もゴンドラ待ちしていたのに、今はこんなにスムーズに……」というゲレンデスポーツの浮沈を、しんみり体験した。

 

 私は北国の生まれ育ちだけど、子供の頃スキー場に行ったのはせいぜい2、3回。平野部の学校なので、体育の授業でスキーなんてこともなかった。

 

 30歳近くなって本格的にはじめたスキー、最初はヘタだったが、地道に続けるうちに、なんとか上級コースをゆっくり滑り降りられるくらいにはなった。

 

 同時期に流行りはじめたスノーボードに手を出さなかったのは、スキーでいっぱいいっぱいだったからである。

 

 きらいではないのになぜ行かなくなったのかというと、妻の伊藤理佐(長野県原村出身)がスキーをやらない人間だったからだ。

 

 厳寒の土地の冬の体育で、小中学校の9年間スピードスケート漬けにされた人間としては、わざわざ何時間も車や列車に乗ってスキーだなんて、都会者の道楽、寒いのにほんとご苦労様、みたいな認識であるようだった。

 

 それを引きずってスキーに行ったこともあるが、向上心も熱意もなく、子供が生まれてからは子供とソリで遊んでいるばかりである。

 

 1人で黙々とリフトに乗っては滑り降りる、心がぜんぜん浮き立たない行為をくりかえしながら、「スキーが楽しかったのは、同レベル前後の友人たちとワイワイ滑っていたからなんだな……」と、長野県の富士見高原スキー場で思ったことを思い出す。

 

 最後のスキーから数年たった。行けば子供は楽しいはずだが、妻とスケジュールをすり合わせて1〜2泊のスキー旅行を企画する意欲は、もう私にはないのだった。

 

 物置でほこりをかぶっているスキー板は二代目で、けっこう使ったという意味では買いものとしてけっして失敗ではない。

 

 ただ、後半は「自分の板じゃなきゃいやだ」というこだわりが薄れ、板とストックはレンタルを利用していた。最後は靴もレンタルでいいや、ということになった。

 

 物置に行くたびに「これ、もう捨ててもいいやつだ」とは思うのだが、それは今じゃなくていいか……と先送りにしてしまうのは、楽しかった様々な思い出がしみこんでいる気がするからだろうか。

 

 それが「もう乗らないクルマ、バイク」などだと、家族の視線が痛かったりするのだろうが、スキー板ぐらいなら大丈夫だ。

 

 こんな感じで、多くのお宅の収納場所の暗がりで、使われなくなったスキー板は静かにまどろんでいるのかもしれない。

 

よしだせんしゃ
マンガ家 1963年生まれ 岩手県出身 『伝染るんです。』『ぷりぷり県』『まんが親』『おかゆネコ』など著作多数。「ビッグコミックオリジナル」で『出かけ親』、「ビッグコミックスピリッツ」にて『忍風! 肉とめし』を連載中。妻はマンガ家・伊藤理佐さん

 

※本誌連載では、毎週Smart FLASH未公開のイラストも掲載

 

(週刊FLASH 2018年2月13日号)

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