小6のとき、村田の両親は離婚した。父親の仕事は養護・福祉関係で、母親の仕事が小学校の教員。同じ公務員ながら、職種の違いから教育方針にズレが生じ、激しく衝突させたと、村田は振り返っている。離婚後も村田を「中学校卒業までは夫婦で面倒見るべき」となったが、家庭の歯車は狂ったままだったと自伝にも記している。
「もう毎晩のように喧嘩だったと記憶していたんですけど、自分が所帯を持つと、それってありえない。実際には365日のうち、300日は平和だったはずなんですよ。人間って、無意識のうちに記憶を誇張させるところがあるんだなって思いました」
どちらにしても少年時代の村田にはハードな生活だったのかもしれない。しかし結果的には、この環境が、ボクサー村田誕生のきっかけとなったのだ。