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【村田諒太インタビュー】Vol.2「アマチェア時代のボクシング」

I'm Ready!FLASH編集部
記事投稿日:2017.04.10 18:47 最終更新日:2018.04.11 16:00

【村田諒太インタビュー】Vol.2「アマチェア時代のボクシング」

 

■アマチュア時代 最高だった2011年と最悪だった2012年


──アマチュア時代のボクシングについて教えてください。村田選手の話す体重の乗った右ストレートですが、アマのときは打てていたのでしょうか。

 2011年の世界選手権のときは本当によくて、(ロンドン五輪のあった)2012年は本当にダメでした。右足の踏ん張りはまったくきいてなかったですね。11年の僕と12年の僕が戦ったら余裕で11年の僕が勝つと思いますよ。それくらい違います。

 

──それは驚きですね。

 だから「オリンピックでなぜ金メダルを獲れたのか」と聞かれたら、僕は「ラッキーだった」と答えているんです。本当にラッキーだったんですよ。全然よくならなかったんです。それが真実。「謙遜してるでしょ」って言われますけど、リアルにラッキーですから。

 

──努力したからこそ幸運に恵まれたという面もあったのでは?

 確かに努力はしました。練習はすごくやった。午前中から800メートルのダッシュやって、パワーマックスやって、そのあとボクシングの練習をして。追い込んで毎日毎日やりました。だから努力が運をもってきてくれたと言うことはできるかもしれないけど、それは結果論です。メダルを獲ってなかったら、あんなトレーニングだから駄目だとなるだろうし。こればっかりは結果論で、獲れたからよかったのかもしれないですけど。だからラッキーなんです。

 

──11年と12年の違いをもう少し詳しく教えてください。

 11年(の世界選手権)でメダルが獲れて、たぶん「なぜ自分はメダルを獲れたのか」という理由を突き詰めようとしたんです。よかったときの自分を再現したいと思った。その結果、崩れしまったんです。過去に依存してしまった。ああだ、こうだと考えて、ぐるぐるまわって。11年の世界選手権で銀メダルを獲るまで、自分は世界選手権のファイナルまで進むような選手じゃなかった。それはあると思います。

 

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