だが、養女の絹子さんとは、確かに確執もあったという。
「絹子は、3歳のときに連れ子として来たんです。その当時から、私のことは “パパじゃない人” と認識していたようです。でも、手を繋いで遊園地に連れて行ったりして、かわいがりましたよ。当然、叱ることもありました。
5歳ぐらいから、私に対して『お父さんじゃないから嫌い』と言ったり、ハルマンの着物にハサミを入れたりと悪さをするので、軽く手のひらで叩いたこともありましたが、よかれと思ってやったことです。
そんなとき絹子は、わざと近所に聞こえるように大声で泣いていましたけどね。しかし、それも、ごくまれなことです。
ただ、絹子が高校生のころ、あまりに反抗的なので、一度本気で愛想を尽かして、僕のほうが自由が丘の実家に帰ったことはあります。そのうちハルマンから電話で、『もう帰ってらっしゃいよ』と言われたので帰りましたけどね」
そもそも、40年にわたるDVなど不可能だと、清水は苦笑いを浮かべた。
「じつは20年近く前から、ハルマンとは別室で暮らすようになり、“家庭内別居” の状態ではありました。ここ何年かは、家の中で、家族とまともな会話すらありませんでした。……いえ、私だけが家族から無視されていたんです。
ハルマンに向かって『なんだこの野郎!』と私が言ったと、『週刊新潮』は録音テープとともに報じましたが、たしかにあれは事実です。でも、そもそも、それを絹子が録音しているのもおかしいでしょう。あれは録音するために、私が怒るように仕向けていたんです」
清水は、むしろ自分がDVを受けていたと主張する。
「ハルマンは一時、“鬼嫁キャラ” としてテレビ番組に出演していましたが、一部演出はあれど、本人の性格はほぼあのままなんですよ。
私は63歳のころに脳梗塞を患い、俳優としての仕事に自信をなくしていました。それでハルマンに『仕事ができない』とぼやくと、ハルマンは『できないじゃなくて、やんなさいよ!』と怒鳴るんですよ。
そんな私でも、ある時期はずいぶん稼いでいたはずですが、ギャラはすべて、ハルマンの会社に振り込まれていました。収入は全部ハルマンが管理していたので、私は自分がどれだけ稼いでいたのかを知らないんです。
以前の事務所にいたころは、年収3000万円くらいあったと思いますが、自分で自由に使えるお金はなかったし、給料はおろか、小遣いすらまともに与えられませんでした」
今回、本誌は、この清水の “反論” を、ハルマンさんに電話で直接確認した。
「あの人は本当に嘘つきですね。彼からのDVはたしかにありました。証言者が何人もいます。DVを受けてきたんだから、私たちが清水を無視するのも当たり前です」
(週刊FLASH 2020年1月28日号)