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女子アナ日下千帆の「美女は友達」チャイナドレスの女王
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2020.07.30 16:00 最終更新日:2020.07.30 16:00
みなとみらい線の元町・中華街駅から地上に上がると、徒歩2分ほどで煌びやかな中華街の明かりが目に入り、観光客が喧騒の中に吸い込まれていきます。
自粛期間が続き、人出が減少傾向にあっても、久しぶりに訪れた中華街には、人をワクワクさせるエネルギーを感じます。
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今回ご紹介する美女は、この横浜中華街で20年以上チャイナドレスを売り続けている高山瑠美子さんです。
高山さんの最初の起業は20歳のときでした。生まれ育った横須賀で、中華料理店や寿司店、居酒屋などの飲食店を次々と立ち上げていきました。
これらの店舗の売り上げが好調だったため、25歳のときにはアパレル業界に手を広げ、インポートブランドや日本の高級アパレルメーカーの服を扱うようになりました。
「当時はバブルの絶頂期で、誰が何をやっても当たる時代でした。1枚20万円のセーターが飛ぶように売れた時代です。その頃は、スナックやブティックも含め、8~9件のお店を常にやっていました。気づくと24時間働いているほど忙しかったのです」
高山さんのビジネスは、日本経済の成長とともに拡大し、バブルの追い風を受けて確固たる基盤を築いていきました。
ところが、1990年代に入り、カタログ通販のビジネスを始めた頃にバブルが崩壊し、何万枚というTシャツの在庫を抱えてしまいました。
「このときに、所有していたビルや店舗のほとんどを手離すことになったのです。Tシャツをどう売っていこうか考え、中華街の市場通りでテーブル1つの露店を始めました。最初は、Tシャツを売り切ったら横須賀に帰ろうと思っていたのです」
明るくお話される高山さんですが、新参者はなかなか受け入れてもらえない中華街で、水をかけられたり、店の前に生ごみを捨てられるという陰湿ないじめもあったそうです。
「嫌がらせを受けるほど、ここに店を出すまで頑張ろうという気持ちになりました。その後、関帝廟前にいい店舗が見つかったので、2年近くオーナーに日参し、ようやく中華街にお店を構えることができました」
お店でチャイナドレスを作り始めた高山さんにとって、アパレル業界での経験や知識は、これ以上ない強みとなりました。浴衣の生地や大島紬を使ったり、辻が花のデザインを取り入れるなど、他にはない斬新なチャイナドレスが、次々と店頭に並んでいきました。
1990年代、高山さんのチャイナドレスは売れに売れ、横浜市からの要請でワールドポーターズにも出店したほどでした。
しかし、2000年代に入ると景気はさらに低迷し、リーマンショックや東日本大震災を経て、横浜中華街に20件以上あったチャイナドレスのお店も、今や高山さんのお店「チャイナハウスカモメ」のみになってしまったそうです。
「チャイナドレスの売り上げが下がってきたため、中華街の特色を活かしながら、次にどんなビジネスをすべきか考えました。そして、10年前から占いビジネスを始めたら、これが大当たりしたのです」
テレビでも取り上げられるほど急成長した高山さんの占い館『愛梨(アイリー)』は、現在、中華街に5店舗も展開されています。ビジネスで成功する方は、次に流行るものを見極める先見の明と、それを具現化する実行力をお持ちです。
自粛期間が続き、人恋しくなると、誰かとお話したい欲求が出てきますよね。私も、今度こっそり占いに伺いたいと思います。
●日下千帆(くさかちほ)
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も