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女子アナ宮崎宣子の「ドツボ脱出」夢ってどうやって探すの?

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2020.08.01 16:00 最終更新日:2020.08.07 21:11

女子アナ宮崎宣子の「ドツボ脱出」夢ってどうやって探すの?

 

【宮崎さん、助けて!】

 

 宮崎さんはアナウンサーという夢を叶えましたが、どうやって夢を見つけたんですか? 私は、やりたいことも見つけられず、毎日、ただバイトばかりしています。こんな人生でいいのかなと思ったり、悩んでいます。夢ってどうやって探すんでしょうか?

 

 

【お答えしましょう】

 

 こらー! いいわけないですよー! 人生無駄にしてはいけませんよ! と言っても、やりたいことが見つからない、夢が叶えられないという人って、多いのかもしれません。

 

 私は、人生を考える転機が何度かありました。

 

 1度目は幼稚園でした。お風呂場で髪の毛を洗っていたとき、おじいちゃん、おばあちゃんが1番目としたら、お父さん、お母さんは2番目。そして、私と弟は3番目。

 

 おじいちゃんとおばあちゃんは、死ぬ順番1位。でも、いつかは私にも回ってきて、死ぬかもしれない。死にたくない。

 

 そもそも、なぜ私は、このタイミングでこの世に産まれたのだろう。そして、この命はいつ終わるかわからない。嫌だ、死にたくない。。。

 

 と深く考えすぎて、死への恐怖でお風呂から大泣きして上がってくる、不思議な感覚を持つ子でした。小学校、中学校となればそんな感覚も消えてゆくのですが。。。

 

 では、私がすぐに夢を見つけられたかというとそうではありません。私は公務員の父を持ち、母は私にも公務員になることを夢見ておりました。そして、親が言うのならそれでいいかと思うようになります。

 

 中学2年のときに、祖父が亡くなりました。祖父が死んだ・・・そのことを受け入れられませんでした。人は死ぬ。そのことが現実に起こったことにパニックになりました。

 

 祖父は、決して満足な人生ではなかったのです。戦争へ行き、満州、台湾へと渡り、敗戦後、戻った日本で祖母と出会ったそうです。

 

 そこから、仕事を転々とし、宮崎県へ移住するも、仕事を見つけられず、タクシーの運転手となり、祖母と母の生活を支えますが、生活は苦しく、祖母も働き、母は孤独に1人で家で過ごしていたそうです。

 

 その後、母が結婚して私が産まれるわけですが、私が5歳の頃、祖父はアルツハイマー病と診断されます。

 

 61歳のときでした。タクシーの運転手をしていた頃、お釣りの間違いや、行き先がわからなくなったりと、会社からクレームが入るようになり、おかしいと思って調べるも、当時はまだアルツハイマーはそんなにメジャーな病気ではなかったので、いろんな診断が下されましたが、どれも当てはまらず、、、何カ所も病院を回って、最後の最後にアルツハイマーとわかりました。

 

 そこからは、地獄の始まりでした。どんどん脳が萎縮するため、赤ちゃん返りのように子供に戻っていき、記憶がなくなっていきました。

 

 大好きだった祖母にも「あんた、誰ね?」と言うようになり、「福岡へ帰る、母ちゃんに会いに帰る」と、何度も徘徊し、いなくなっては、家族みんなで何キロも探し回り、警察のお世話になったこともありました。

 

 それからは、夜の徘徊を防ぐために、日中体力を使わなきゃと、祖母は毎朝、祖父と散歩し、私は、学校から帰ったら祖父の散歩を担当しました。友達と遊びたくても、祖父との散歩が優先し、手をつなぎ、同じ話を何度もしながら公園のグランドを5周して帰りました。

 

 癇癪を起こしたり、祖母に暴力的な行為をしたり、自分が自分でなくなっていることもわからないまま、月日は流れていきました。 自分の大事な人を傷つけている祖父が本当なら一番つらいはずだから、家族はありのままの祖父を受け入れるしかありませんでした。

 

 祖父が元気だったときは、一度も怒られたこともなく、毎日遊んでくれて、忙しくてまったく学校行事に参加しない父の代わりに、祖父が全部参加してくれるほどでした。

 

 大好きでした。そんな優しさの塊だった祖父が、どんどん姿を変えていきました。

 

 そしてある日の夜、おやすみと言ったまま、次の日の朝、起きてきませんでした。その日は、中学2年の体育祭の日でした。亡くなった祖父を目の前にしたとき、神様はいないんだなと思いました。

 

 こんなに優しくて人格者の祖父が、人として一番大事な記憶を失っていく病気になるなんて、、、人間は記憶をなくしたら、どんなに元気に生きていても意味がない・・・。好きな人もわからない、美味しいものもわからない、そして、自分は自分を忘れてゆく、そんな人生なんて耐えられない。。。

 

 そう思ったとき、私は今の健康な人生を無駄にしているのでないかと思ったのです。せっかくこの世に産まれてきて、健康で、学校へ行けて、美味しいご飯が食べられて、そして、今なら何にでもなれるのに!

 

 おじいちゃんの分まで生きなきゃ!
 葬儀の後に、火葬場で震える母の手を見たときに、私は決意しました。

 

 本当にやりたいことはなにか? 夢はないのか? ここからゆっくり考えよう。母に言われたとおりに生きるのではなく、棺桶に入ったときに、「あーこの人生やりきった! 幸せだったなー! ありがとう!」って満足して死にたいと思ったのです。

 

 中学2年を境に、私は毎日毎日、考えるようになりました。人生一度っきりだから後悔のない人生を送りたい! 人生の大半を占める「働くという時間」をどう使いたいか、何をして働きたいか・・・本当にやりたいことを探そう。本当にやりたいことを見つけよう。

 

 そう決心してから、2年後にアナウンサーという夢にたどり着くのです。私は、祖父の病気と死を目の当たりにしなければ、アナウンサーの夢までたどり着くことはできなかったと思います。

 

 ですから、夢を決めること、見つけることは、簡単ではありません。自分で決める! と決意してから、私は毎日のように何がしたいか、何になりたいか、悶々としながら探し続けました。

 

 なので、質問者さん!
 私にはきっかけとなる経験がありましたが、決して、楽に夢を見つけたわけではありません。夢一つ見つけるのも大変なんです。

 

 正直言って、質問者さんはこれまで幸せに生きてこられたんだろうと思います。でも、明日から記憶がなくなったら、、、明日死んだら、、、と思ったら後悔しませんか?

 

 まずは、苦労して、悩んで、いろいろと経験して失敗して、そこから本当に自分が好きなこと、やり続けたいこと、ずっとやっても苦じゃないことは何かを生み出してください! どんな仕事も大変なんです! 努力が必要だし、毎日毎日やり続けなきゃいけないんですよ!

 

 好きな仕事だから、つらいことも踏ん張れるのに、好きじゃなかったら、、、ただでさえしんどいのに、そりゃやめちゃいますよ。

 

 やりたいことを見つけた人こそ、後悔しない人生の切符を手にいれられる人です。でも、やりたいことを見つけたとして、そこからどうやって夢を叶えるのかは、また別の話。それは、またの機会に。

 

宮崎宣子(みやざきのぶこ)
 宮崎県宮崎市出身。早稲田大学卒業後、日本テレビアナウンサー。現在はフリーアナとして活動しつつ、実業家としてオーガニックハーブ販売中

 

※宮崎アナへの人生相談はインスタグラム@miyazaki_nobukoで募集しています

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