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女子アナ宮崎宣子の「ドツボ脱出」30歳で限界を感じている

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2020.10.24 16:00 最終更新日:2020.10.24 16:00

女子アナ宮崎宣子の「ドツボ脱出」30歳で限界を感じている

 

【宮崎さん、助けて!】

 

 30歳になって、これからの進路について悩んでいます。やりたいことが見つからず、とりあえず入社した会社である程度の結果を出し、何となく仕事もできてきました。今の仕事に不満があるわけではないけれど、結婚もしたいようでしたくない。このままでいいのかな、とセカンドキャリアを考えます。

 

「アナウンサー30歳定年説」って聞いたことがありますが、宮崎さんも30歳くらいで会社をやめてますよね? どうやってセカンドキャリアを考えたんですか?

 

 

【お答えしましょう】

 

 30歳定年説!! 久しぶりに聞きました!! 今はキー局のアナウンサーも30歳を越えても現役でバリバリと仕事をされていますので、定年説は吹っ飛んだと思いますが、確かに私も日テレを退社したのは勤続10年を迎えた32歳でした。

 

 私はアナウンサーになりたくて高校1年の冬から突っ走ってきましたが、日テレに入社してすぐ、「燃え尽き症候群」第1弾が訪れました。アナウンサーになることが夢で、その先を何も考えていなかったのです。

 

 とにかく、アナウンサーになる! この目標を掲げ、できることは何でもすると決めて、当時登竜門だったミス早稲田にも出場しました。もちろん、何の称号も得られず、最終選考の8名に残ったということで「ベスト8入り!」と言っておりましたが(笑)。。。

 

 アナウンサーになるためなら何でもやって、後悔のないようにすることを一つの目標にしてしまった結果、入社してからはひどいものでした。テレビドラマのような「女子アナ」の世界なんて微塵もなく、体育会系サラリーマンの局でしごかれました。本当につらかったです。。。

 

 仕事のできない自分と、宮崎弁が抜けない情けなさと、同期の中で、一人置いてきぼりの惨めさのなか、毎日やめたい、、、やめたい、、、と思うようになりました。

 

 ですが、ここまでの苦労と親の期待と日テレの弁当の美味しさに奮起し、次なる目標を7つ決めたのです。

 

(1)箱根駅伝を担当する
(2)ナレーションを担当する
(3)宮崎に映る全国放送の番組を担当する
(4)月曜〜金曜の朝のレギュラー番組を持つ
(5)スケジュールが毎日真っ黒になる
(6)報道番組を担当する
(7)スポーツ番組を担当する

 

 この7つの目標を定め、クリアするように頑張ろうと決めました。アナウンサーとしてすべてやってみることができるのか? 報道、情報番組、バラエティー、スポーツ、ナレーションのすべてをやる! と決めたのです。

 

(1)日テレと言えば、箱根駅伝です。親が毎年、お正月に見ておりましたし、母校の早稲田大学も出場することから、高校サッカーより、箱根駅伝を担当したいと思っておりました。その願いはすぐに叶います。1〜3年目までセンターサブを担当し、猛烈な忙しさと眠れなさを体験します。ですが、エクセルも使えない私は、単なる邪魔者で、まったく役立たずでした。

 

(2)ナレーションは、アナウンサーとして一番難しく、声で勝負できるからこそ醍醐味だと思ったのです。3年目に明治乳業1社提供のレギュラーを持ち、休職するまで担当させていただきました。

 

(3)宮崎県はいまだに民放が2局しかありません。なので、入社3年目まで私がアナウンサーになったことを宮崎県の人はほとんど知りませんでした。『ザ!世界仰天ニュース』を担当できたことで、ケーブルテレビを契約している方が、鹿児島読売放送経由で見られるようになりました。

 

(4)やはり朝番組を担当したいと思っていましたし、月〜金のレギュラーを持つことは一つの大きな目標でした。『ラジかるッ』を3年半担当させていただきました。

 

(5)入社してから3年間、ほとんどスケジュールがスカスカで、先輩方みたいに毎日スケジュールがびっしり詰まっているのが羨ましくて仕方なかったです。7年目に帯のレギュラー、特番、通販、深夜番組も担当し、1カ月休みなしのスケジュールになりました。休みが必要なく、毎日働きたい私としては幸せそのものでした。

 

(6)報道番組を担当したことがないと思っていらっしゃる方も多いのですが、実は、情報番組と思われがちな『Oha!4』は報道管轄でした。また、日テレニュース24も担当しておりました。

 

(7)スポーツも無縁だと思っている方が多いのですが、2年目に「イースタン・リーグ」のグランドリポーターとなり、3年目から宮本和知さんと『速報!!デジナマ巨人』を担当。4年目から毎週木曜日はサッカー場に足を運び、試合の日は味の素スタジアムでグランドリポーターをしていました。

 

 結果的にすべての目標を実現できたのですが、、、いま思えば、目標なんか決めてよかったのかどうか。私は、10年間で自分が立てた目標以上の経験をさせていただきました。するとどうなったか・・・そう、また自分を見失うのです。

 

 日テレはとてもいい会社ですし、給料もいいし、食いっぱぐれることもない。入社したときに、一生この会社にお世話になろうと決めたのに、30歳のときに、40代で日テレで働いている自分が想像できなかったのです。

 

 それからしばらくして顎関節症になり、復帰して、次は自律神経を壊し、2度の休職に陥ります。そのときに、次の人生を考えなくてはいけないなと思いました。

 

 仕事は楽しいけれど、、、いままでどおり、ちゃんと準備して仕事に向かうけれども、、、なにか達成感や必死さが自分のなかに持てなくなっていました。

 

 このときの私と、質問者さんの心境は同じかもしれないですね。いまの会社はとてもいいけれど、このままでいいのかわからない。仕事もある程度させてもらったけど、その先の成長が見えない・・・。
さて、どうする???

 

 私は、想像できない時点で先はないと思いました。30代後半、40代、50代と日テレで仕事している姿が想像できない・・・そんなときに東日本大震災が起こりました。ちょうど2度目の復帰から戻ってきた5日後でした。

 

 これは、何かのサインかもしれないと思いました。たくさんの大切な命が失われ、現地に取材も行きました。当時の状況を聞きながら、涙が出て、帰りの新幹線で鳥肌が止まらなかったのを覚えています。

 

 せっかくの命を必死に生きなくてはバチが当たる。なんとなく生きてはダメだと思ったのです。その後、2度の降板、休業の体験から健康の大切さに気づき、誰かの役に立つものを作りたい思いから、ハーブの仕事を始めました。

 

 確かに毎日楽ではないけれど、必死感はあります。セカンドキャリアと言うほどかっこよくないですが、いいものを作る、いい仕事をする、誰かのために生きるという使命感と緊張感は、局アナをやめてからの方があります。もっと言えば、大きな事務所をやめた今の方が、さらにその気持ちは大きいかもしれません。

 

 安定もなければ保証もなく、この人生が本当にいいのかはわかりません。ですが、後悔しない生き方ということに関しては、100%達成しています。それは、なりたい自分になれているということではなく、誰かのせいにせず、きちんと生きているということかもしれません。

 

 質問者さんと私は同じ気持ちを共有していましたが、「このままでいいのか」と思っている時点で、言い訳に聞こえます。本当にこのままではダメだと思っているのなら、目標に向かって一直線に走っていて、ウダウダ考える暇もないのです。

 

 Netflixの『アンという名の少女』を見てみませんか? アンは、どんなときも一生懸命で、想像力にあふれ、偏見や差別、いじめにも負けず、美人でもなく、孤児だったことをすべて受け入れ、自分の人生を切り開いていくのです。

 

 スマホもなく、家の明かりもロウソクしかない環境・・・カナダの大自然の中に自分の思いを放り込んでみたら、また新しい何かが見えるような気がします。

 

 コロナでいろいろと考えてしまう気持ちもわかります。私も途方に暮れましたし、悲しいニュースもたくさんありました。生きることは楽ではありません。

 

 でも、こんなに時間が持てたからこそ、本を読み、散歩し、自然に触れ、Netflixをじっくり見て、ゆっくりとこれからの人生、仕事を見つめ直す時間がもらえた気がします。

 

 一度立ち止まるべきときは必ず来ます。そのサインを見逃さなかった質問者さんは、いつか必ず何かに気づき、出会えると信じています。

 

宮崎宣子(みやざきのぶこ)
 宮崎県宮崎市出身。早稲田大学卒業後、日本テレビアナウンサー。現在はフリーアナとして活動しつつ、実業家としてオーガニックハーブ販売中

 

※宮崎アナへの人生相談はインスタグラム@miyazaki_nobukoで募集しています

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