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女子アナ宮崎宣子の「ドツボ脱出」地方育ち東京育ち、どっちがいいの?
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2020.11.07 11:00 最終更新日:2020.11.07 11:00
【宮崎さん、助けて!】
私は私立の小学校から大学までストレートで進学したのですが、夫は地方から東京の大学に進学したため、地方に住むのがいいのか、東京に住むのがいいのか、いつも夫と議論になってしまいます。宮崎さんは、夫と同じ進学の仕方だったと思うのですが、子供のことを考えると、どちらがいいのか迷ってしまいます。宮崎さんがもし親なら、どちらを選択しますか?
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【お答えしましょう】
うーーーーーーーーーん、難しい!!!
私は、宮崎の実家から歩いて3分の幼稚園、同じく歩いて5分の小学校、中学は自転車で30分、高校も自転車で20分でした。そして、大学から東京の早稲田大学へと進学しました。
確かに、人は自分が育った教育環境が一番正しいと思うのかもしれません。もう一つは、育った場所もあると思います。
私は田舎に育ちました。
正直、私立の存在を知ったのは中学校に入ってからで、それまで私の周りの人で、私立の学校に行く人はいませんでした。
幼稚園はほとんど記憶にありませんが、小学校ではイジメにあっていました。携帯はありませんでしたから、今のようなLINE外しとかハイテクなものではなく、ただある一定の期間、無視されるのが順番に回ってくる感じでした。
中学では不良の人もいましたが、自分が不良になろうとは思わなかったし、人生を遠回りするのが嫌だったので、不良する時間がもったいないと思っていました。勉強や塾、部活に忙しく、友達との漫画交換や、映画や、カラオケで毎日ヘトヘトでした。
あのころは、本当に楽しかったです。
部活が終わって、真っ暗ななかを、カエルの鳴き声とともに友達と自転車で話しながら帰り、いつも別れ際の交差点でずっと話していました。
中学からは、校内推薦をもらい、家から一番近い県立高校へ進学。私は市内ですが、高校では同じクラスに村の人もいました。高校までの道のりはすべて田んぼでしたし、信号は2個。自動販売機は1個しかありませんでした。
当時、ローソンができて大喜びしたことを覚えています。実は宮崎は鹿児島放送も流れるので、ローソンのCMは流れるのですが、宮崎で見たことはありませんでした。当時は高嶋政伸さんがローソンのCMで「からあげクン」を紹介されていて、私たちは、
「からあげクン」ってあるらしいよ~
チーズが入ってるんだって~
いろんな味もあるみたいやじ~
と話していましたので、その後、ローソンができたときには、みんなで自転車で買いに行って、そのレシートを生徒手帳に貼り、水戸黄門の「この紋所が目に入らぬか~」ばりに見せびらかしていました(笑)。
当時はルーズソックスも流行っていましたが、宮崎に流行がくるのは遅く、スーパールーズに関しては少し不良のお姉様しかやらなかったので、ちょっと長めのハイソックスを緩めて、ルーズソックスを楽しんでおりました。
中学も高校も、楽しいときもそうでないときもたくさんありましたが、大自然のなかで、月明かりを頼りに、自転車で帰りながら、将来のことを考えたり、夢を膨らませたり、地元の人々に挨拶しながら帰るのも悪くはないですよね?
私は、言い方がよくないかもしれませんが、母親から「勉強して県立に入ってもらわないと! 学費が高い私立はウチは無理だからね」と言われていました。
親は「学校の先生になりなさい。国立の宮崎大学に進学してほしい」と言ってました。
ところが、私が高校生のとき、アナウンサーになりたいと言い出し、「マスコミに強い早稲田へ入る!」と言うと、「早稲田? そんな大学入れるわけがない!」と言われ・・・「じゃ~入ったら、行かせてよね!」と啖呵を切ったところ、「そんな奇跡が起こったら行かせてあげるわよ」と約束してもらい、進学できました。
そして、東京に出てきて、ま~びっくり。
自分がいかに田舎者で、いかに時代遅れだったのか。。。
東京は、頭がいい人の方が私立に入るシステムだと聞いて、「なんで勉強した方が高い学費を払わなきゃいけないわけ?」って不思議でなりませんでした。
「慶應って幼稚舎があるらしいけど、小学校のことらしいよ?」って意味がわかりませんでしたし、「小学校から受験なしで大学まで行ける人がいるんだよ!」って聞いたときは、「えーーーー!!人生、初耳!!」でした。
いま思うと、田舎だから地元の公立しかなかったけど、東京だと、いろいろあるわけで、、、そして、一番の大きな違いは貧富の差かもしれません。
私は、お金のことをまったく考えることなく育ってきて、友達がお金持ちとか、親がなにをしてるとか、意識したことがありませんでした。みんな同じくらいだと思っていたし、そんなにお金がなくても毎日楽しく生活できていました。
だから、東京に出てきて、「お前の親、なにしてんの?」って聞かれて、「高校の先生だよ」って答えたら、「一般ピーポーだな」って言われたときの、あの衝撃。。。
親が公務員であることは誇らしいことで、安定収入で、なによりも素晴らしい職業だといろんな人から聞かされていたのに、東京では公務員は「一般ピーポー」と呼ばれる部類になるわけで。。。
私は、それ以外どんな職業があるんだよ! と反発していたら、「あの人は、◯◯の社長の息子で、あいつは、君もよく知っている○○食品の娘だよ」と。
えーーーーー!! はい! はい!
そのお名前はよく存じ上げておりますが、そんな人がいる場所なんですね・・・って18歳で東京を知るのです。
どうやら、「都会育ちで金持ちなら私立。それ以外なら公立」って勝手に分けられているようです。そう!! 都会の人は分けるのが好きだな~と思いました。
私は、いまは同じ大学生なんだし、バイトしたり、お金もないわけではないし、一緒に遊べばいいじゃんと思っていましたが、「ワセジョ禁止ね」って言われ、、、「何で?」って聞くと、「ビンボーで、変に賢くて、田舎もんの集まりで、ダサいから」と。。。
・・・・・・
しばらく、無。。。。。何も言い返せませんでした(苦笑)。
そんなこんなで、私は、ビンボーワセジョのククリにまとめられましたが、そんなとき、早稲田でよかった~~と思うのです。私のように地方から奨学金で進学して、バイト代で生計を立てている学生ばかりだったので、早稲田のなかでなら幸せに暮らせました。
外に出てはダメです!
コテンパンにやられました(笑)!
小学校からエスカレーター式の有名私立大学だったら、本当に道明寺に会えない『花より男子』の世界だったかもしれません。
ただ、これは田舎者出身の解釈で、実際に大人になって、素晴らしい私立育ちの方にも出会いましたし、逆に、田舎育ちで感じ悪い人もたくさんいました。
なので、質問者さんのお答えになっているかどうかはわかりませんが、私自身は、子供時代を大自然のなかで過ごし、大人になって大学から東京に出て来られた環境にはとても感謝しています。
それは、たまたま田舎に生まれたからであって、もし私が東京生まれの東京育ちで、私立の小学校から大学まで行っていたら、もしかしたらその生き方が一番素晴らしいと思っていたかもしれないですよね。
今の自分が幸せなら、それまでどんな生き方、どんな環境だったとしても、それが一番と思えるような気がします。
人は自分の通った道が一番だと思いがちなので、いっそ夫婦でどっちの人生が幸せだったかディベート対決してみてはいかがでしょうか。
私はさんざん話し合ったあげく、「結局、愛情を持って育てれば何でもいいよね」という結論にいたると予測します(笑)。
●宮崎宣子(みやざきのぶこ)
宮崎県宮崎市出身。早稲田大学卒業後、日本テレビアナウンサー。現在はフリーアナとして活動しつつ、実業家としてオーガニックハーブ販売中
※宮崎アナへの人生相談はインスタグラム@miyazaki_nobukoで募集しています