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女子アナ宮崎宣子の「ドツボ脱出」突然の解雇、どうすれば…

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2020.11.28 11:00 最終更新日:2020.11.28 11:00

女子アナ宮崎宣子の「ドツボ脱出」突然の解雇、どうすれば…

 

【宮崎さん、助けて!】

 

 先日、急に派遣先から解雇を言い渡されました。今までしっかり働いてきたつもりだし、一度も休みもせず、サービス残業もしてきたのに。私はどうしたらいいんでしょうか?

 

【お答えしましょう】

 

 相談者さんの気持ち、わかりますーーーーーー!!!
 え? なんで? クビなんてなったことないでしょ? と思われるかもしれませんが、私は数々のクビを言い渡されてきました。

 

 

 学生時代、初めてのバイトは新宿のマックで働きたいと、アルタ下で始めました。憧れのマックでしたが、昼どきの混雑ぶりは果てしなく、当時スマイルゼロ円というCMが流行っており、すんごく忙しいのに、「スマイルくださ~い」って言われて・・・。

 

「笑ってますけど?」って言ったら、「そんなスマイルじゃなくて、ビッグマックみたいなビッグスマイルください」と言われ、「ビッグマック10個でいいですか?」と冗談で言ったら、後で店長に呼ばれることに。

 

「君はサービス業に向いてないようだな。ここはああいうお客さんが多いから、別の店舗の方がいいんじゃない?」って言われました。これって事実上のクビですよね? 私、間違ってました? 納得いかないまま、憧れのマックはこれにて終了。2週間でした。

 

 その後、当時住んでいた高田馬場のカプリチョーザでバイトを始めました。カプリチョーザは、宮崎にいたときから大好きで、家族でよく行ってましたし、東京で見つけたときには、嬉しくてよく友達とランチにも夜ご飯にも行ってたんです。

 

 そこで働いてみたいと思って、働きはじめて1カ月くらいはまだましだったと思うのですが、、、少し慣れてきたくらいに、先輩からコップをできるだけたくさんお盆で運んでと言われました。

 

 お盆で運ぶことに慣れていなかった私は、バランスを崩し、お客様の肩にコップをぶちまけてしまいました。あわてて店長が謝り、クリーニング代を渡していました。そして、そのクリーニング代は私の給料から引くと言われました。

 

 それから間もなくして、食後のコーヒーと紅茶を運びなさいと言われました。皆さんの想像どおり、またもやバランスを崩した私は、熱々のコーヒーと紅茶をお客様の頭からぶちまけました。またまた、クリーニング代は私の給料から引かれることに。

 

 最後に、今まで1個ずつ運んでいたパスタを2個同時に持ちなさいと言われました。私は、本当に腕力がなく、1個でも大変だったのに、2個なんて無理だと伝えました。当時は2人前の大きいボールしかなかったので、それを2個持つのは相当な力が必要でした。

 

 まだ、練習も筋トレもしていなかったのに、いきなり2個! トマトとニンニクのパスタと、ペスカトーレだったと思います。脇を締め、プルプルしながら奥のテーブルまで必死に運びました。早くあのテーブルまで持っていかなきゃと思っていたときです。ゴールまであと3テーブルで、目の前のお客様が、突然席を立ったのです。。。

 

 その瞬間、私と当たってしまい、両方のパスタが左右にひっくり返って、宙を舞いました。

 

「君は飲食の仕事に向いてないんじゃないか? このままだとクリニーング代の方が君のバイト代を超えてしまうよ。明日から来なくていいから」

 

 人生2度目のクビ宣告です。
 正直、「私は無理です!」と言いましたよね、と心の中で何度も叫びましたが、向いてない自覚はありましたので、受け入れました。

 

 バイトですから、会社からクビになるのとは違うのもわかります。ですが、入社してからも私は何度も降板してきました。番組が決まったときは嬉しいですが、降板が決まったときはクビのようなものです。

 

 もちろん、新しい番組が決まって、そのためにスケジュールが合わなくて担当できなくなったこともありますが、どの番組でも、終わるときは「必要ない」と言われたような気持ちになります。

 

 担当番組が決まると、その準備のためのサービス残業も当たり前でした。サービスだなんて考えたこともなく、やらなくてはいけない仕事として、寝る時間を削ってでもします。そして、毎回必死に、一生懸命に仕事して、何年も担当したとしても、番組の改編だったり、私より若いアナウンサーに交代したり、タレントさんを起用したり・・・そう、どんなに努力しても降板は来るのです。

 

 フリーのアナウンサーになってからは、もっとシビアです。局のアナウンサーだったときは、たとえ降板しても、新しい仕事を準備してくれますし、仕事がなくとも給料はもらえます。フリーとなった今は、仕事が終わればギャラもなくなり、生活も苦しくなる。派遣の皆さんと同じ立場と言っても過言ではないと思います。

 

 そんな苦しい経験をたくさんしてきました。だからこそ、毎回の仕事は全力で臨み、しっかり下準備をして、完璧な状態で挑みたいと思っています。もしかしたら次に使ってもらえるかもしれないですし。もちろん、全力で頑張っても次につながらないこともあります。だとしても、しっかり頑張ったのであれば、後悔はありません。

 

 わかっているのは、永遠に続く仕事はないということです。

 

 私は、親から「公務員になりなさい、公務員になれば、ずっと給料をもらえるから」と小さい頃から言われ続けました。実際は日本テレビに入社させてもらい、本来なら、食いっぱぐれることはありませんでした。

 

 ところが、10年働いて私は退職し、フリーアナウンサーになっています。理由はいろいろありますが、まぁ、人生何が起こるかわからないのです。

 

 そういえば、外資系企業の方から聞いた話にびっくりしたことがあります。朝、先輩と一緒にスタバでコーヒーを買い、2人で出社しました。先輩が上司に呼ばれ、コーヒーをデスクに置いて会議室に入っていきました。そのまま、先輩が帰ってくることはなかったそうです。

 

 デスクに置かれたコーヒーからはいい香りが漂っていました。そして、そのコーヒーは夕方になってもそこに置かれたままだったそうです。

 

 この話を日本で友人にすると驚かれるのですが、海外で話すと、けっこう当たり前らしく、仕事なんてどんどん変えていくのが当然! という国もあります。

 

 質問者さんも切られてショックかもしれませんが、もしかしたら、コロナで企業の収入が減り、会社としてはいて欲しかったけど、どうしようもなかったのかもしれません。

 

 理不尽なことは、人生には何度も起きます。それを誰かのせいにしたり、文句を言っても始まりません。だったら、自分が成長するときだと思って、前を向いてみませんか? 1日はいいでしょう。思いっきり愚痴って、思いっきり叫んで、飲んで食べて、次の日から新しい仕事を探しましょう!

 

 ぶっちゃけますが、私もコロナで19件のお仕事がなくなりました。正直、ここから先の人生やっていけるのか、毎年収入のあてにしていたお仕事も流れてしまい、2020年、私は一体何がいけなくて、なんでこんなことになったんだろう、これから生きていけるのか、これから生活できるのか、本当に悩みました。実家に帰った方がいいのかなと思ったこともあります。

 

 でも、コロナは、私だけではありません。同じ思いをされた方も多くいるはずです。だったら、いまできることを頑張ろう、もがいてみようと思いました。

 

 今までの仕事と一緒です。やれることを限界までやって、もうだめだ! と思うまで頑張ればいいのです。仕事がなくなっても、人生が終わるわけではありません。

 

 ピンチからどう自分の人生を育むか、前を向くのか、下を向くのか、チャンスと思うか、絶望するか、すべて自分にかかっています。

 

 私は、追い込まれたときに燃えるタイプなので、ギリギリまであきらめません! ダメならダメなりに方向転換するだけです。そして、考え方だけはプラス思考を心がけています。

 

 最後に私の母親の口癖を紹介します。
「何とかなるよ~大丈夫。大丈夫。死にはしない」

 

宮崎宣子(みやざきのぶこ)
 宮崎県宮崎市出身。早稲田大学卒業後、日本テレビアナウンサー。現在はフリーアナとして活動しつつ、実業家としてオーガニックハーブ販売中

 

※宮崎アナへの人生相談はインスタグラム@miyazaki_nobukoで募集しています

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