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鷲見玲奈「彼女は僕に『一色玲奈』と名乗った」別名の“撮影会モデル”時代

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2020.12.09 11:00 最終更新日:2020.12.09 11:08

鷲見玲奈「彼女は僕に『一色玲奈』と名乗った」別名の“撮影会モデル”時代

2011年5月、お台場の撮影会での一色(鷲見)玲奈

 

「あれきり、撮影会で一色さんと顔を合わせることがなく、消息も聞かなかったので、ずっと彼女のことは気になっていました。最後も、心配な形で終わってしまいましたし……」

 

 カメラが趣味の会社員・モーリーさん(50代)は、自慢のソニーの一眼レフで、年に30人以上のモデルを撮影してきた。そんなモーリーさんにとって、「一色玲奈」と名乗った女性は、忘れられない被写体だったという。

 

 

「最初に一色さんを撮ったのは、2011年5月。お台場での撮影会でした。東日本大震災のチャリティで、開催期間は6日間と、大規模なものでした」

 

 モーリーさんは、そのうち5日間に参加したが、ある日、モデルのなかに “一色” がいた。

 

「この撮影会は、あるミスコンの予選会を兼ねていて、参加したカメラマンの投票で、ファイナリストが決まるんです。僕は、一色さんに投票しました。彼女は一番人気でしたね」

 

 同会には、有名写真家、映画監督が審査員に名を連ね、鳴り物入りのコンテストだった。多くのカメラマンが参加し、1対1での撮影時間はわずか。会話も、ままならなかった。

 

「それでも、明るい笑顔や目ヂカラは忘れられません。モデルを務めるのは不慣れなようでしたが、女優のようなたたずまいで、魅力的なポーズを自然に取ってくれました」

 

 同年7月におこなわれるファイナリストのお披露目撮影会を、モーリーさんは心待ちにしていた。もちろん、“一色” と再会できるからだ。

 

「しかし、なぜか一色さんは登場しなかったんです。彼女は、たしかファイナリストに残っていたはずなんですが……」

 

 2011年の夏、鷲見玲奈(30)の大学時代の知人は、アナウンサー試験に意欲を見せる鷲見の姿を鮮明に覚えている。

 

「『女優もしている』と話していましたが、むしろ、当時はアナウンサー志望だったと思います。『地方局でもいいから、アナウンサーになりたい』って話していたくらいですから」

 

 キー局のアナウンサーの採用試験は早い。首都大学東京の3年生だった鷲見にとっても、就職活動に本腰を入れるタイミングだった。

 

 女優として映画にも主演していた鷲見だが、その作品が出演者の不祥事でお蔵入りになることが決定したのが2011年4月。同じころ、鷲見は高校時代から所属していた芸能事務所をやめている。この時期は、鷲見が「女優」と「アナウンサー」という2つの夢のどちらに進むか、揺れていた時期といえる。

 

 お披露目撮影会から8日後、モーリーさんは、ある撮影会に参加した。毎週のように撮影会の予定を入れていたモーリーさんにとって、軽い練習のつもりの小さな会だった。だが、会場である公園に現われたのは、“一色玲奈” だった。

 

「僕のことは、覚えてくれていたようでした。芸能界への登竜門なのに、なぜファイナリストを辞退したのか聞きたかったのですが、聞けずじまいでした。あの日は猛暑で、一色さんは熱中症で倒れてしまい、撮影会は途中で終了になったからです。彼女と会ったのは、これが最後でした」

 

 今回初めて “一色” と、いま一番人気のフリーアナが同一人物だと知ったモーリーさん。今では、2度の撮影会の記憶と、数十枚の画像データが彼の宝物だ。

 

写真・モーリー

 

(週刊FLASH 2020年12月22日号)

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