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女子アナ宮崎宣子の「ドツボ脱出」マラソンブームに物申したい

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2020.12.12 16:00 最終更新日:2020.12.12 16:00

女子アナ宮崎宣子の「ドツボ脱出」マラソンブームに物申したい


【宮崎さん、助けて!】

 

 私は、マラソン大会が嫌いです。なんであんなきつい思いをして、ただ走らなくてはいけないのでしょうか? 宮崎さんも東京マラソン走ってましたよね? 私の周りでも皇居ランが流行っていて、正直、意味がわかりません。宮崎さんは、マラソンブームをどう思いますか?

 

 

【お答えしましょう】

 

 わかりますーーーーーーーー!!! 

 ただ、どっちもわかりますーーーーーー!!! なんです(笑)。

 

 マラソンは本当にしんどいし、ただ走って何が楽しいのか、正直わかりませんでした。ぶっちゃけ、いまも全然走りませんし。ただ、共感とは言えないのですが、ある意味、簡単に達成感・充実感を得られるだろうとは思います。

 

 社長さんたちが走るのは、ビジネスって終わりがないじゃないですか。だから、ひとつひとつ小さな目標を作って、それをクリアしたいときに、マラソンが向いていると。今日は10キロとか決めて、それに向かって頑張ることで、達成感が生まれるっていうのは聞いたことがあります。

 

 私は、いまだにマラソンは嫌いですが、実は、マラソンから学んだことがあります。

 

 小学校のとき、体育でマラソンがありました。しかも一番寒い時期に、ものすごい長距離を走るんです。小学生ながら、本当に嫌な時間でした。走っているときの息苦しさ、吐きそうになる、あの感じを思い出すだけで、今でもよくやったなと思います。

 

 当時、小学校3年生だったかと思いますが、マラソン大会に向けて、2時間目と3時間目の休み時間は20分走ることが決められていて、全校生徒で校庭を走っていました。そして、毎回の体育の時間も、もちろんマラソンです。

 

 勉強は嫌いでなかったものの、体育だけ3しか取れないことにいつも不満を覚えていました。運動神経がいいわけではないけど、幼稚園から水泳は習っていましたし、バレーボールも週3でやっていて、それなりに体力はあるつもりでした。

 

 ただ、毎年、マラソン大会の時期だけ体育の成績がよくない。ま〜仕方ないと思いながら、だらだらと走っていたのですが、あるとき、授業で走った順位が40位だったのです。

 

 え? 40位? まーまーいいじゃんって思ったのです。全員で何名だったか忘れましたが、上位20位に入ると、入賞として賞状がもらえます。もう少し頑張れば、入賞できるかも? と思ったのです。

 

 次の体育でもう少し頑張ってみました。すると、今度は35位になりました。もしかするとイケるかもしれないと思った私は、この日から、毎日家の前を走り始めました。すると、次の体育では29位まで上りました。そこで、今度は、家から実際のコースを走ってみました。

 

 さらに、坂道はゆっくり、ここでスピードをあげすぎない、最後の登り坂で一気に駆け上がって、、、など、ノートにコースマップを書いて、毎日実際に走りながら、念入りにチェックしました。少し負荷をかけたり、家で腹筋とスクワットなどの筋トレを取り入れた結果、なんとマラソン大会前の最後の授業で19位まで浮上したのです。

 

 これはイケる! と自信がついてきました。マラソン大嫌いでしたが、小学生ながら一大決心して、20位入賞を目標に毎日取り組みました。そして、いざ迎えたマラソン大会本番。。。

 

 私は、今まで頑張ってきた自分に大丈夫! と気合いを入れました。

「位置について、ヨーイ、ドン!!!!!!」

 

 スタートしました。一斉に女子が走り抜けて行きます。そのときでした。最初の角を曲がり切ったところで、誰かが私の踵を踏んでしまったのです。今まで経験したことがない感覚が襲いかかりました。ふわっとしたかと思ったら、

 

 ズデ〜〜〜〜ン!!

 

 地面に叩きつけられました。痛い・・・。

 そして、後ろからたくさんの人が追い抜いていきます。もう走るのをやめようかと思いました。もう入賞できないし、鼻血も出てて恥ずかしいから、このまま泣いて保健室へ、、、と一瞬、頭をよぎりました。

 

 でも、でも、でも、、、ここまで頑張ってきた、私の毎日の特訓はなんだったの? ここまで必死に練習してきたのに、ここで負けていいのか、と思い直しました。鼻血を手で拭い、足から血が出ているだろうけど、ここは気にせず、走る!

 

 一度ビリになってしまったけど、さぁ、ここからどれくらい頑張れるのか、やるだけやってみる! そう思って、走り始めました。 沿道では、私の血だらけの姿を見て、明らかにコケたんだな・・・という哀れみの顔がありましたが、そんなことは気にしません。

 

 だんだん、体育苦手な女の子の最後尾が見えてきました。短距離だったら、すぐにビリで終わっていたのが、長距離は挽回できます。私は、1人抜いたら次のターゲットを見つけ、また1人抜いてと、ジワリジワリ半分くらいまで来た気がしました。

 

 いつも真ん中くらいを走っているメンバーの顔も把握していたので、自分が50位くらいまで来たと思いました。そして、最後の坂道と校庭に。時間と距離が足りないけど、ここで抜かなくては!

 

 最後の地獄の坂道を登るとき、毎日鍛えたスクワットの成果でゴボウ抜きを達成し、最後、もう気力体力が残っていないなかで、自分の限界をさらに超えて、猛ダッシュしました。1人抜き、また1人抜き・・・ラスト2人抜いてゴールしたときにもらったカードには、35位と書いてありました。

 

 35位か・・・こんなに頑張ったのに、足を踏まれるなんてついてないなと思いましたが、そんな言い訳は通用しません。結果がすべてなのです。

 

 あ〜あ。と思いました。鼻血だらけの顔とケガした足を医務室で拭いてもらい、その日は終わりました。でも、寝る前にフツフツと悔しさがわいてきました。

 

 そして、どうしたかというと、次の年のマラソンに向けて私は走り始めたのです。さらに綿密に研究し、来年は距離が伸びるので、少しずつ体力をつけ、1年前から逆算し、いま何を準備しておくべきか計画を立てました。

 

 競走馬の出走風景を見ながら、自分がどの位置にいたから踵を踏まれたのか、自分がどの位置なら巻き込まれずに走れるかなど、箱根駅伝や大学マラソン、社会人マラソンなどの中継を見て勉強し、訓練して次の年を迎えたのです。

 

 そして、18位を取りました。達成感は最高でした! やればできる! あきらめなければ、なんとかなる! これは、もう執念です(笑)。

 

 小学校のときのこの経験は、その後の人生に大きな勉強となりました。なにかを達成したときの満足感。そして、なにかをやり遂げるには目標を明確に定め、それに向かって準備と努力が必要だと学びました。

 

 もう一つ大事なこと。

 それは、マラソンは誰も助けてくれない。結果を誰のせいにもできない。誰かに頼らないからこそ得られる幸福感があると・・・それって人生みたいだなって思ったんです。

 

 勉強も教えてもらってわかるより、自分で考えて悩んで調べてわかる方が嬉しいですよね? 楽をすると必ず落とし穴があり、苦労しても努力すれば必ず最後は楽になる。

 

 誰かに頼らず生きていく・・・専業主婦だった母に対してなんとなく違和感を覚えていたのは、ここだと思いました。母は、父がいないと経済的に生きていけないから、父に気を使い、言いたいことも言えない。

 

 一方、父は誰のおかげでメシ食えてんだ! という昭和タイプの男でしたが、好きなことを好きなだけ言っても平気だったのは、自分で生きていけるという自信があったからだと思いました。

 

 ホントのところをいうと、宮崎家は、父の給料をすべて母が握っていたので、どちらが上だったかわかりませんが、自分で生きるということ、自分の人生は自分で歩いていくという考えが、どれだけその後の人生を楽にしてくれるか、このマラソンで学んだ気がします。

 

 誰かに頼る、誰かに依存する生きづらさを、私は、自分の家庭を通して見ていたのかもしれません。

 

 もちろん、専業主婦で幸せな人もたくさんいるので、なにが正解かはわかりません。でも、自分が離婚できたのは、やはり仕事をしていたからだし、いまこうして大変ながらも楽しく生きているのは、自立という精神的な安定があるからだと思います。

 

 旦那さんにすべてを頼って生きていけるほどかわいい女でもないし、いまさら怖くて無理(笑)。つらかったマラソンですが、マラソンの経験が私を強くしてくれたのは事実です。

 

 なので、質問者さん、マラソンと思わず、別の経験ができるかもしれないと思って少し走ってみると、なにか別の景色が見えると思います。私はもう走らないですが・・・犬の散歩のみで(笑)。

 

宮崎宣子(みやざきのぶこ)
 宮崎県宮崎市出身。早稲田大学卒業後、日本テレビアナウンサー。現在はフリーアナとして活動しつつ、実業家としてオーガニックハーブ販売中

 

※宮崎アナへの人生相談はインスタグラム@miyazaki_nobukoで募集しています

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