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女子アナ日下千帆の「美女は友達」ヌーブラヤッホー「モエヤン」の池辺愛さん

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2021.02.11 16:00 最終更新日:2021.02.11 16:00

女子アナ日下千帆の「美女は友達」ヌーブラヤッホー「モエヤン」の池辺愛さん

日下アナ(左)と池辺さん

 

 女性のキャリアは多種多様。『美女は友達』は、人生を謳歌する女性たちのキャリアインタビューです。

 

 

 全身、赤と青のタイツに身を包み「ヤッホーヤッホッホ、ヌーブラヤッホー」と軽やかに登場する女性2人のお笑いユニット、モエヤンを覚えていますか? 今回ご紹介する美女は、赤いタイツを着ていた池辺愛さんです。

 

 

 大阪で生まれ育った池辺さんが、エンターテインメントの世界に興味を持ったきっかけは、中学校時代の入院生活でした。

 

「3カ月の入院中、ラジオに助けてもらったことから、エンターテインメントの素晴らしさに気づき、役者を目指すことにしました。中学時代には、市民ミュージカルに出演した経験もあるんですよ」

 

 大学入学と同時に上京し、慶応大学文学部哲学科では、環境音楽という興味深い研究をしていたそうです。

 

「たとえば、孤独を表す音は、時代とともに変化します。昔は、犬の遠吠えなどがあげられましたが、現在はPCをシャットダウンする音だったりするのです」

 

 研究テーマからすると、音響系の会社が欲しがりそうな学生ですが、池辺さんが受験したのは、日本テレビのアナウンサーでした。

 

「1次試験で落ちました(笑)。結局、その後は就活を続けることはなく、三宅裕司さん率いるスーパーエキセントリックシアターの研究生を経て、劇団員になりました。ところが、1年目は、稽古が厳しいだけでなく、掃除や、もぎり、衣装づくりと雑用も多く、心が折れそうになりました」

 

 お芝居や歌で数々の舞台をこなし、2003年には「東京メッツ」という女性だけのミュージカル集団に参加し、そこで相方となる久保いろはさんと出会います。

 

「同い年で、同じ大阪出身。母親の職業も同じ英語の先生と、偶然の一致が多い彼女と運命を感じ、「一緒におもろいことやらへん?」と誘いました。コンビ名がなかなか決まらず、「もう、ええやん」と言ったことから “モエヤン” が生まれました」

 

 全身タイツの上からヌーブラを付けるという奇抜な衣装で注目を集め、一躍人気者になりましたが、2008年7月、メーカーからお叱りを受けたため、ヌーブラネタは封印。その後は「ノーブラヤッホー」とフレーズが変更になりました。

 

モエヤン時代

 

 2013年、久保さんの結婚を機にコンビを解消し、お一人での活動に戻ります。

 

 2019年、ラジオ番組を担当していたとき、リスナーからカメムシに関する投稿がありました。そういえば、以前にカメムシの物語を書いたことがあると話したところ、絵本で読みたいというリクエストが殺到し、今度は絵本作家としてデビューを果たします。

 

「みずから何件もの出版社を回って、絵本『ぼくはカメムシ』を出してくれる会社を探しました。絵は中学校時代の美術の先生にお願いし、素敵な絵本に仕上がりました。昔から物語を書くのが趣味だったので、チャンスがあれば2冊目以降も書きたいです」

 

 さまざまなジャンルに挑戦する池辺さんは、現在、4才と0才のお子さんを持つ2児のお母様でもいらっしゃいます。今後は、エンターテインメントだけでなく、子供たちが住みやすい社会になるよう、社会貢献活動もしていきたいそうです。

 

 タイツ姿で子供たちを笑顔にしていたモエヤンの正体は、家事、子育て、仕事とフルパワーで活躍するスーパーウーマンでした。今後も、ますます活躍の場が広がっていきそうな予感がいたします。

 

日下千帆(くさかちほ)

 

1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も

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