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女子アナ日下千帆の「美女は友達」国連機関のチャリティで歌う女優
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2021.02.25 16:00 最終更新日:2021.02.25 16:00
女性のキャリアは多種多様。『美女は友達』は、人生を謳歌する女性たちのキャリアインタビューです。
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東京では、少しずつ春めいた日差しを感じるようになってきましたが、新たなスタートの季節に皆さんは、何を始めますか? 今回ご紹介する美女は、離婚やがんを乗り越え、女優として再出発を始めた国連UNHCR協会・広報委員の松田陽子さんです。
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おばさまがビクターからレコードを出すプロの歌手だった関係で、5歳から前座として歌っていた松田さんにとって、歌は生活の一部でした。
関西外語大学を卒業後、お母様のお店で歌っていたところをミュージカルのイベント会社の社長にスカウトされ、主役のドロシーとしてミュージカルデビューを果たします。
しかし、その後、事務や営業の仕事もふられるようになり、もっと歌っていたいという気持ちが抑えられずに退社。30万円握りしめ、何のあてもなく単身ニューヨークに渡ったのでした。
「最初は、1泊1000円のユースホステルに泊まり、日本人向けのフリーペーパーで見つけたバーテンダー見習いのバイトをしていました。
ところが、ある日、地下鉄でバイオリンを持つ黒人のおじさんに話しかけられました。『ニューヨークに何しに来たの?」と聞かれ、『JAZZシンガーになりたい』と答えたら、『うちで歌ってみないか』と誘われたのでついていきました」
ニューヨークで知らない人についていくなんて、聞いている方が心配になりますが、ここで松田さんは、あり得ないラッキーを引き寄せたのです。バイオリンを持つ黒人のおじさんの正体は、マリオネットホテルの音楽プロデューサーだったのです。
洋楽を日本人歌手が歌う珍しさから、松田さんのステージは好評を博しました。ところがご本人は、自分が求めているものとは何かが違うと感じ始めたようです。
「歌手デビューを夢見て渡米しましたが、現実に、世界の頂点であるニューヨークの中心で歌うことになったら、なんだか拍子抜けしてしまいました。これが本当にやりたかったことなのか、よくわからなくなったのです」
葛藤を抱きつつも、3年ほどステージパフォーマンスを続けていましたが、1999年、一時帰国中に出会った男性と結婚し、大阪に戻ります。
その翌年に長女を授かり、幸せな生活を送っていた31才の春、突然の不幸が彼女を襲いました。子宮頸がんが発見されたのです。発見されたときは、医師から生存確率50%と告げられるほど、病状は進行していました。
「体中の水分が抜けるほど泣きました。娘を抱きしめながら、私が死んだらこの子の面倒は誰が見るのだろうという恐怖に襲われました」
幸い、手術は成功し、退院の日を迎えることができたのですが、この病気をきっかけに、幸せだった家族が崩壊に向かっていったのでした。
「体が思いどおりに動かないイライラから、家事も満足にこなせなくなり、子供に声を荒らげ、ときには手をあげることもありました。夫の心も離れていき、家にいないことが増えました。結局、がんは私の家族までも奪っていったのです。離婚後は、鬱の診断を受け、娘との心中を考えたほどです」
どん底の松田さんを救ったのは1本の映画との出会いでした。2003年、偶然入った梅田の映画館でアンジェリーナ・ジョリー主演の映画『すべては愛のために』を見て、「自分にはなんでもある」ということに気づかされたそうです。
「『人に使命があるとしたら、なぜそれを探し求めないのだろう』という主人公のつぶやきから始まる映画で、その言葉が私に刺さりました。
普通の主婦が命がけで、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が支援する難民キャンプに飛び込んでいくという映画を見て、私も、人のために生きようと決意したのです」
UNHCRの翻訳ボランティアを手始めに、のちにはチャリティイベントで歌い、募金を集めるようになりました。現在は、国内の虐待された子供たちの支援にも力を入れています。
そして2011年、がんとの闘い、離婚、ボランティア等、自らの経験談をまとめた著書『生きているだけで価値がある』を出版しました。
「過去の私のように、何のために生きているのかわからなくなってしまった方がいらしたら、私たちは幸せになるために生まれてきた、冬は必ず春になると信じてほしいです」
現在、松田さんの出演している作品がオンラインで配信されています。2018年ミラノ映画祭で、最優秀主演男優賞と最優秀監督賞をW受賞した映画『ばあばは、だいじょうぶ』で、寺田心君のお母さんを演じています。
今年は、国内外の映画に出演予定という松田さん。いつか、和製アンジェリーナ・ジョリーと言われる日が来るかもしれません。
●日下千帆(くさかちほ)
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も