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女子アナ日下千帆の「美女は友達」イケメン育成に邁進する元オールナイターズ

芸能・女子アナ 投稿日:2021.03.18 16:00FLASH編集部

女子アナ日下千帆の「美女は友達」イケメン育成に邁進する元オールナイターズ

松波さん(左)と日下アナ

 

 女性のキャリアは多種多様。『美女は友達』は、人生を謳歌する女性たちのキャリアインタビューです。

 

 

 今回ご紹介する美女は、戦隊ヒーローから和太鼓パフォーマーまで、さまざまなイケメンを世に送り出しているイケメン育成プロデューサーの松波利佳さんです。

 

 

 今回お邪魔したのは、松波さんが趣味で10年以上通っている外苑前のTAIKO-LAB青山。松波さんは、こちらでも太鼓パフォーマー「無限」や和楽器演奏集団「桜men」というイケメンたちを応援しています。

 

 実は、松波さんはテレビ朝日でのリポーター歴が長く、昔はよくメイク室ですれ違っておりました。早朝から元気な声でお話されるお姉さまという印象でしたが、現在は、さらにパワフルになられたご様子です。

 

「イケメンは触るヒアロルン酸」という素敵なキャッチフレーズを用い、若いイケメンを起用するイベントやラジオ番組を自らプロデュースされています。

 

 では、バブル期を堪能された松波さんのパワフルなキャリアを振り返っていきましょう。

 

 1985年、当時の日本は女子大生ブーム。全国のフジテレビ系列局では地元の女子大生を起用し、「オールナイトフジ」のご当地番組を制作していました。

 

 名古屋の東海テレビでも、名古屋中の女子大生を集めたオーディションがおこなわれ、最終的に20名の美女が選抜されました。

 

 名古屋のお嬢様学校、金城学院大学に通っていた松波さんも女子大生リポーターのひとりに選ばれ、毎週金曜日は、深夜の生放送に出演されていました。

 

「今ではあり得ない激しい企画が多かったように思います。たとえば、名古屋の街中で声をかけた男性とゲームをやって、相手が負けたらその場で丸坊主にしてしまうコーナーがありました」

 

 今のテレビでは絶対にできませんね。昭和はおおらかでした。オンエア後には、局の前に出待ちするファンの車がずらりと並んでいたとか。バブル期ならではのエピソードです。

 

 また同じころ、レースクイーンとして鈴鹿サーキットに立っていたところ、当時大人気だった近藤真彦さんと出会い、番組アシスタントを務めたこともあるそうです。

 

鈴鹿サーキットのレースクイーン時代

 

 1986年、就活せずに上京。ラジオニッポンや文化放送でリポーターやアシスタントの仕事を続け、1990年代はテレビ朝日のリポーターとして、早朝の『やじうまワイド』から深夜の『トゥナイト』まで、大活躍されていました。

 

 ところが2000年、2才になったお子様が保育園の抽選に漏れて待機児童となってしまい、仕事に戻れないという問題が発生しました。普通なら行政への愚痴を言って終わりそうですが、パワフルな松波さんは、保育所が足りないならば自分でつくってしまえと、西麻布に保育所をオープンしたのです。

 

「場所柄、企業のトップや、芸能人のお子さんがたくさんいらっしゃいました。オリジナルの教育プログラムや送迎つきサービスが話題となり、TBSの『爆報!THEフライデー』でとりあげてもらったこともあるのですよ」

 

 口コミとメディア取材により、保育所は大盛況となりましたが、昨年3月、ご自身が55才という区切りの年齢を迎えたこと、また当時2才だったお嬢様も大学を卒業したことから、20年運営を続けた保育園を譲渡されました。

 

 そして、現在はまた新たなプロジェクトを立ち上げています。YouTubeでショッピングが楽しめる「うなぎ登りチャンネル」をこの春、開局予定だそうです。

 

「日本のよいものを世界に届けたい。英語、中国語、スペイン語の字幕をつけて、世界制覇をたくらんでいます」

 

 松波さんを見ているだけで、なんだか元気になってきました。今後も、“ヒアルロン酸” 代わりのイケメンに囲まれ、若さをキープしながら大躍進されることでしょう。

 

日下千帆(くさかちほ)

 

 1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も

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