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女子アナ宮崎宣子の「ドツボ脱出」好きな食べ物に限ってすぐに消えてしまう

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2021.05.08 11:00 最終更新日:2021.05.08 11:00

女子アナ宮崎宣子の「ドツボ脱出」好きな食べ物に限ってすぐに消えてしまう

 

【宮崎さん、教えて!】

 

 コンビニやスーパーで好きなお惣菜やお菓子が見つかっても、人気がなかったのか、私の気に入った商品たちはすぐに消えてしまいます。些細なことですが、けっこう悲しいです。宮崎さんは、お気に入りだったものが販売されなくなってしまった経験はありますか?

 

 

【お答えしましょう】

 

 確かに、なくなってしまうのは寂しい・・・ですね。でも、きっとまた新しいスイーツやお惣菜も出ると思うので、新しい出会いも楽しみですね。

 

 私自身は、気に入ったものはけっこう長くいてくれます。

 

 たとえば、ヤマザキパンのナイススティック。知ってますか?

 

 細長いパンのなかにミルククリームが入ってるんですが、生クリームでもなく、クリーミーすぎず、なんとも言えない甘さが絶妙で、子供の頃から食べていまして、、、今でも売ってます。そして、ときどき無性に食べたくなるのです。

 

 あとは、ミスタードーナツのポン・デ・リング。

 

 あれが初めて発売されたときは、宮崎にいたのでまだ中学生か高校生だったと思います。宮崎の繁華街の待ち合わせと言えば、これはもうミスドなんですが、そのミスドにポンデリングが現れたときには、なんて美味しいものができたんだろうと感動しました。

 

 その後、定番商品となっていつも売っているので、エンゼルクリームと一緒に必ず頼んでしまいます。そして、昔と変わらない懐かしい味にうっとりしてしまうのです。

 

 近くのスーパーのお惣菜で言えば、茄子をお肉で挟んだ揚げ物が大好きで、毎回買ってたんですが、あるときなくなってしまって・・・あ〜人気なかったのかな〜って思っていたんです。

 

 このときは、確かになんとも言えない寂しさがありましたが、最近、また復活してくれて・・・もうなくならないように、売り上げに貢献しようと、行ったら必ず買っています。

 

 唯一、人生で、この世からなくなって本当に悲しかったのは、マクドナルドのチキンタツタです。あのパンがとっても美味しくて、普通のバーガーのパンに比べて、とてもふっくらしていて柔らかく、大好きだったのです。

 

 それなのにあるときからパタンとなくなってしまいました。期間限定の復活はありますが、レギュラーではないのです。。。

 

 そーいえば、チキンタツタと言えば、実は私、むかし盲腸になったんです。高校3年生のときでした。

 

 2年生のときにもお腹が痛くなり、盲腸かもと言われましたが、、、そのときは薬で散らして終わり、3年生になってまた痛くなって・・・。

 

 しかも、翌年から東京に行くことが決まっていたので、東京で手術になるより、宮崎でやっておいた方がいいのでは? と病院の先生と話し合い、手術が決まったのです。

 

 確かに、祖父母も両親も弟も盲腸の手術をしているので、私も避けられない道のようには感じていました。ただ、人生初の手術に怖さは隠せませんでした。

 

 当日、手術着に着替えて、ベッドで寝かせられ、そばに銀のトレイが置かれました。覗いてみたら、布団針のようなぶっとい針と注射器が置いてあり、こんなもの刺されたらとんでもないと、母が売店に行った隙間を狙って、手術着とスリッパのまま一目散に逃げ出しました。

 

 走っても痛くなかったし、家まで20分ほど走れば帰れます。ひたすら走って家の中に隠れました。

 

 手術着を着たまま、病院のスリッパで脱走した人はいなかったみたいで、看護師さん総出で探しても私はおらず、、、当時は携帯もないので、病院から電話があってもおばあちゃんに「いないって言って」と頼み込んで時間稼ぎしました。

 

 結局、家に帰って来た母親に見つかり、想像以上に怒られ、病院へ連れ戻されましたが、手術時間をすぎていたため、とりあえず今回も薬で散らそうとなったのです。

 

 は〜〜〜よかった〜と思っていた日の夜でした。その日、そのまま友達と遊びに出かけて帰ってきたとき、薬を飲み忘れていることに気がつきました。

 

 ま〜1回くらい大丈夫だろうと思っていましたが、その夜に発熱し、救急で同じ病院へ運ばれました。

 

「宮崎さん、もう逃げられないよ」

 

 入院したときには、私の盲腸は炎症を起こし、完全に手術しないといけなくなっていました。そして、本来なら部分麻酔でおこなわれるはずが、この病院初の強制的な全身麻酔へ。

 

 そして、いざ、手術へ・・・全身麻酔で逃げられないようになった私は、まな板の鯉で。。。目が冷めると終わっていたのですが、そこからの入院生活が、またつらくてつらくて。

 

 一番つらいのは、病院食が美味しくないんですよ。食べることだけが楽しみなのに。

 

 そこで、チキンタツタの登場です。父親にこっそり買って来てもらい、病院のご飯を父親に押し付け、私だけチキンタツタを食べました。そのときの美味しさったら・・・もう〜幸せで・・・この世にこんな美味しいものがあるのか〜としみじみ食べたのを思い出します。

 

 ただ、やはり腸を切っているわけなので、いきなり流動食からチキンタツタで、体がビックリしてしまい・・・お腹が痛くなってしまいました(泣)。

 

 そして、また採血が増えて、退院が1日伸びました。

 

 その後も懲りずに、1日だけお風呂に入りたいと、お腹ぐるぐるの包帯のまま、実家に少しだけ帰宅し、頭を洗ってもらい、体を拭いたりしてもらったのですが、その後も体調を壊し、発熱して、また採血して、感染症のチェックを受けて・・・退院が1日伸びました。

 

 さらにまた退院前日、そのときはほぼ普通の食事に戻っていたので、父親にモスバーガーを買ってきてもらい、美味しくて美味しくて・・・で、また少し具合が悪くなったのですが、そこは我慢して、次の日の退院を迎えました。

 

 こんな問題児でしたので、看護師さんもお医者さんも総出で見送りしてくれました。病院側からすると、「二度と来るなよ〜」っていう気持ちだったと思います。

 

 そんなわけで、いまでも期間限定のチキンタツタを見つけると、当時の美味しさを思い出すのです。なくなったときは本当に悲しかったですが、今はたまに会えるので、それはそれで楽しみにしています。

 

 質問者さんは、新商品がなくなってしまう悲しさがあるかもしれませんが、もしかしたら、そのうち復活したりするかもしれません。

 

 そのときは、走馬灯のように当時のことが思い出されますので、いつまでもある商品より、なくなってから気づく大切さのように・・・再会したときに、より愛おしく感じられる喜びこそ、なにげに貴重かもしれませんよ!

 

宮崎宣子(みやざきのぶこ)
 宮崎県宮崎市出身。早稲田大学卒業後、日本テレビアナウンサー。現在はフリーアナとして活動しつつ、実業家としてオーガニックハーブ販売中

 

※宮崎アナへの人生相談はインスタグラム@miyazaki_nobukoまたはinfo@smart-flash.jpで募集しています

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