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女子アナ日下千帆の「美女は友達」農業法人設立を目指すFP
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2021.06.03 16:00 最終更新日:2021.06.03 16:00
女性のキャリアは多種多様。「美女は友達」は、人生を謳歌する女性たちのキャリアインタビューです。
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最近、新たなキャリアの選択肢として農業に携わりたい、または、週末は郊外で野菜や果物を育てたいという方が増えているように感じます。
今回ご紹介する美女も、独立系ファイナンシャルプランナーでありながら、農業法人の設立を目指して活動している中島慎貴さんです。中島さんのキャリアは、次々とお仕事のオファーが来るミラクルな展開が続いて、現在に至っています。
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中島さんは、1989年の高校卒業後、当時人気ドラマの舞台となっていたNYへ語学留学に行きました。
アパートからマンハッタンの学校まで、フェリーに乗って通学していましたが、ある日、財布を忘れ、帰りのフェリー代25セントを見知らぬ日本人ビジネスマンに借りました。
すると、後日、その男性が経営している映像制作会社で働きませんかというオファーがあり、学校をやめて、秘書として働き始めます。
1992年からアメリカでは、グリーンカードロタリー(移民多様化ビザプログラム)という、抽選で永住権がもらえる制度が始まり、中島さんが働く会社の全社員5人中4人が当選。
中島さんもめでたく永住権を手にしました。しかし、その後、会社は経営不振から倒産し、中島さんは、顧客だった毛皮宝石店の販売員として働き始めます。
高級品販売のお仕事は、それなりに楽しく続けていましたが、さらにキャリアの幅を広げたいと、1年ほどで退職。今度は、ユダヤ系の不動産会社で、唯一の日本人として、日本法人担当部門を立ち上げます。
「営業の仕事は初めてでしたが、フルコミッションという厳しい条件のもと、電話帳を見ながら飛び込み営業をして、徐々に結果を出していきました。
数か月後には、驚かれるほどの売り上げを記録し、『小さな賃貸マシン』と呼ばれるようになりました」
すると今度は、顧客企業からヘッドハンティングのオファーがあり、日系旅行会社に転職。法人営業マネージャー兼、支店長代理として迎えられました。
次々と訪れるチャンスの波を乗りこなすかのように無我夢中で働いてきましたが、NYへ来て10年ほど経ったある日、60代の日本人男性たちと麻雀しながら何気なく交わした会話がきっかけとなって、日本への帰国の意思が固まったそうです。
「『日本に帰りたいが、仕事もないし、親も亡くなっていて、もう帰るところもない』と話していたんです。それを聞いて、自分もアメリカに長くいすぎたことに気づき、区切りとしていったん帰国することにしました」
1999年に帰国した後は、NYで勤めていた旅行代理店のライバル会社で、日本第1号店の東京支社長として、立ち上げをゼロから任されたそうです。
「この仕事は思った以上に大変でした。なんとか黒字にこぎつけたものの、激務でまっすぐ歩けなくなるほど。体を壊し、退職を余儀なくされました」
2000年、中島さんは病気療養中にもかかわらず、産業能率大学の経済学部に入学し、同時にFPの資格を取得します。在学中、登録に行った人材派遣会社からスカウトされ、管理部門の責任者となりました。
「多数のグループ企業を保有する会社で、美容室、レストラン、太陽光とさまざまなビジネスを展開していました。そのなかに、当時、問題となっていた悪徳リフォームの会社も含まれていて、ある日、突然、会社に特捜部が乗り込んできました。
役員全員が逮捕されたため、保有資産や事業売却などの後始末をやることになりました」
ドラマチックな展開ですね。この後、中島さんはFPの資格を活かして起業します。2007年のことです。
「海外経験を活かした資産形成のアドバイスを得意としていますが、最初は、お客様が1人も来ない状態でした。そこでHPを作製し、情報をアップしたところ、出版社から電話があり、『働く女のお金のルール』という本の出版が決まったのです(ペンネームは中島牧子)。その後、読者からの問い合わせが多く来るようになりました」
さまざまなビジネス経験を持つ中島さんが農業に興味を持ったのは、デンマークへの風車見学の旅がきっかけでした。
「電気を売って経済的に余裕のできた農家が、オーガニック栽培に取り組んでいる様子を目にし、日本でもできるのではないかと考えました。別の方法で経済的な余裕を持てれば、自分の理想のやり方で農業を始められるのではないかと」
現在、中島さんは、長野の農家の方々と毎月勉強会を開き、無農薬、無化学肥料での栽培を実験中です。今後は、農業で法人格を取得し、安全な食の追求、障害を持つ方々の雇用に取り組んでいく予定だそうです。
これまで農業とはまったく縁のないビジネスをされていた方々が、農業に注目するようになりました。コロナ禍で失われた雇用を回復させるためにも、今後、農業へのキャリアチェンジは、大きな希望となるかもしれません。未経験者でも、農業に携われるような仕組みがつくられることに期待します。
●日下千帆(くさかちほ)
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も
取材協力・REWILD OUTDOOR TOKYO