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千葉真一 ハリウッドからのオファーを「握りつぶされた」親友にこぼした“東映との確執”

芸能・女子アナ 投稿日:2021.08.21 15:00FLASH編集部

千葉真一 ハリウッドからのオファーを「握りつぶされた」親友にこぼした“東映との確執”

2019年11月の「芸能活動60周年記念祝賀会」での千葉真一さん

 

 8月19日、俳優の千葉真一さん(享年82)が千葉県君津市内の病院で死去した。新型コロナウイルス感染後に肺炎が悪化し、8月8日に自身が育った君津市内で入院。闘病を続けていた。

 

 千葉さんと40年以上も親友付き合いをしてきた都内の会社経営者は、彼の生涯をこう振り返る。

 

 

「昭和のスターといえば、石原裕次郎と高倉健かもしれません。でも、千葉真一もまったく遜色のない大スターでした。映画が国民的な娯楽だった全盛期の東映で、高倉健と二枚看板の俳優だったんですから。

 

 渡辺謙より、20年も早くハリウッドでも評価をされていた。もっと評価されるべき俳優なんです」

 

 1959年に「東映ニューフェイス」に合格し、千葉さんは東映に入社した。ほどなくしてデビューを果たすと、スタントマンによる “吹き替えなし” のアクション俳優路線で開花。

 

 1968年に放送が開始された『キイハンター』(TBS系)の主演で、お茶の間での人気も確固たるものにした。

 

 しかし、千葉さんは、同じような役柄ばかりを与える東映に対して不満がこみ上げるようになるーー。

 

 前出の経営者が当時について話す。

 

「最初のきっかけは『仁義なき戦い』の大友勝利役を宍戸錠さんに譲らされたことでした。

 

 大友役は衣装から演技まで、すべて千葉さんが作り上げたものでした。そんな思いがあったため、宍戸さんが着流し姿で大友役として登場したときは激怒していましたね。以来、宍戸さんとも不仲になってしまいました。

 

 そこにさらに腹を立てる出来事があったのです。当時の映画興行は2本立てが基本でしたが、千葉さんはやりたくなかった併映作品の “空手映画” の主演をさせられたことに不満を膨らませたのです。

 

 東映のロゴを揶揄して、『義理欠く、恥かく、仁義欠く。これが東映三角マーク』と、よくこぼしていましたね」

 

 1970年には東映所属のまま、千葉さんは「ジャパン・アクション・クラブ(JAC)」を設立した。

 

 アクション俳優やスタントマンの養成に乗り出し、真田広之(60)、志穂美悦子(65)、堤真一(57)らを輩出した。

 

 一方で、時代劇にも進出するようになった千葉さん。1979年には映画『柳生一族の陰謀』で日本アカデミー賞助演男優賞を受賞し、1980年代に入るとよりいっそう出演作に恵まれるようになった。

 

 ただ、この頃から千葉さんが描いていた夢に “理想と現実” の問題がつきまとい始める。

 

「千葉さんは俳優よりも監督業に軸足を置き始めたんです。しかし、お客さんとしてはスター俳優である千葉さんが “監督” する映画より、“出演” する映画が見たい。そこが決定的に千葉さんはわかっていなかったんです。

 

 にもかかわらず、千葉さんは戦国映画の撮影用に購入した馬の費用、小道具の模造拳銃などに億単位の資金を投入していました。

 

 そのころのJACはスタッフの努力もあって、ミュージカルなどの舞台に進出して成功していた。しかし、そのJACの稼ぎは千葉さんの映画道楽のために費やされるようになっていました」(JAC関係者)

 

 1990年代に入ると、千葉さんの生活はまさに “毀誉褒貶” がぴったりと当てはまるようになる。それを端的に表わしたのが、JACの売却騒動だった。

 

「JACの俳優やスタッフは千葉さんを慕って集まった人ばかりでした。その会社を『日光江戸村』を運営する企業に売却してしまったのです。

 

 この売却は、その当時のJACの面々としたら、『僕らは明日からアトラクションの運営をやるんですか?』という感じでした。

 

 しかも、千葉さんは自分だけ売却資金を握り、JACを離れてしまった。ハリウッドを目指して、アメリカに移住してしまったのです」(同前)

 

 アメリカに渡ったのには、東映時代の “幻のオファー” があったからだという。

 

 千葉さんは、ハリウッドから届いていた何通もの出演オファーを十数年にわたり、東映が握り潰していたことを知った。この思いをかなえるための渡米だったが、売却騒動はJAC創設者として無責任と言われても仕方がないことだった。

 

 これをきっかけに、日本国内の映画、テレビで、千葉さんを見ることはなくなった。

 

「1990年代初頭からの十数年は、映画の製作をパトロンに持ちかけては製作資金を生活費に流用するような生活。

 

 詐欺師と言われても仕方がないような暮らしぶりで、2006年ごろにはアメリカの自宅が競売になりかけるなど、まさにどん底の状態まで転落しました」(前出・経営者)

 

 千葉さんが日本国内で、本格的な俳優活動を再開できたのは2007年のNHK大河ドラマ『風林火山』の板垣信方役でだった。

 

 近年では、ドラマ『おわこんTV』(NHK)や映画『エイプリルフールズ』など軽いタッチの出演作もあった。82歳と言えど、活躍の幅を広げてきたなかで少し早い死だったと思えてならないーー。

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