芸能・女子アナ
脳リンパ腫で死去「松方弘樹」最後はすっからかんの豪快人生
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2017.02.04 13:00 最終更新日:2017.02.04 14:14
「別れてからもう何十年も経過して、恨む気持ちなんてありません。時が解決したんですね。いまは感謝の気持ちでいっぱいです。彼との写真はまだ大事に持っています。これからも役者として活躍してほしかったのですが……」
そう話すのは、1月21日に脳リンパ腫で死去した松方弘樹さん(本名=目黒浩樹、享年74)の妻だった元モデルの夏子さん(72)だ。現在都内に在住する彼女は、2番めの妻・仁科亜季子(63)と松方さんとの不倫が原因で1978年に離婚した。3億円の慰謝料が松方さんから支払われたという。
映画『仁義なき戦い』やテレビドラマ『遠山の金さん』、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』など数々の映画やテレビで活躍した人気俳優の松方さん。最期を看取ったのは元女優で内縁関係にあった山本万里子さん(44)だ。彼女は「死を覚悟していたものの、亡くなったことをまだ受け入れられない状態だ」(個人事務所の関係者)という。
長年にわたり芸能界で活躍してきた松方さん。だが、遺した資産はほとんどない。ある芸能関係者はこう話す。
「松方さんは、映画の主役で1000万円のギャラが入ると、それを皆に還元しようとする人でした。京都の祇園で、出演者やスタッフと飲みに出たら、ファンがついてきて、総勢60人の飲み会になったことがある。そのときも笑いながら全額払っていました。
趣味のマグロ釣りも、船をチャーターして海に出ると一度に60万円ほどかかりますが、年に何回も行っていた。入ってきたお金はすべて豪快に使っていた」
松方さんは夏子さんとの間の3人の子供に加え、再婚した仁科との間に2人の子供をもうけた。だが、仁科との結婚生活を送っていた1987年に、歌手・千葉マリア(67)との間の隠し子が発覚する。千葉はあらためてこう話す。
「1981年ごろからショーで共演するようになりました。でも一年くらいは何もなかったんですよ。松方さんの周りには常に女性がいましたし、『3000人と関係を持った』と言っていたので、自分とそんな関係になるとは思わなかった」
1984年に真沙史(まさし)さんが生まれる。
「生まれて一年後から養育費10万円をもらうようになりました。でも、私は長男もいたので、生活が苦しかった。養育費を上げてくれるよう子供に手紙を託し、お願いに行ってもらいました。その後、真沙史が18歳になるまで、月30万円の養育費をいただきました」
千葉との不倫は許されたものの、その後、当時女優だった山本万里子さんとの不倫をきっかけに、松方さんは仁科とのドロ沼の離婚劇を演じることになる。1998年に離婚。慰謝料はなし、養育費月50万円とマンションの残債3000万円あまりを松方さんが払うことで決着した。
養育費に、豪快すぎる私生活。家計は常に火の車だった。だが、最期まで女に愛され、豪快に生きた名優・松方弘樹。「漢(おとこ)」の人生はこうでありたい。
(週刊FLASH2017年2月14日号)