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「ベルリンの壁」崩壊をリポートしたピアニスト/女子アナ日下千帆の「美女は友達」
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2021.11.11 16:00 最終更新日:2021.11.11 17:14
1989年11月9日、東ドイツ政府は西側諸国への旅行や国外移住を認めました。翌日から始まったベルリンの壁の撤去作業の映像は世界中に衝撃を与え、東西冷戦終結の象徴として記憶されています。
今回ご紹介する美女は、当時、西ドイツに音楽留学しながら、激動の東欧を日本のラジオ番組でリポートし続けたピアニスト、仲谷依子さんです。
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仲谷さんは、奈良県出身。1987年大阪音楽大学卒業後、ドイツハノーファー国立演劇音楽大学大学院に進学し、ドイツで最も権威ある国家音楽家資格のDiplom-Musikerを取得されています。
1989年に一時帰国した際、以前からお世話になっていたFM大阪に挨拶に行ったところ、プロデューサーからスカウトされ、「ドイツの音楽を、番組を通して紹介してほしい」と依頼されました。
「ロサンゼルス、香港、北京、シドニーなど世界各地に住むリポーターの1人として、週替わりで1週間毎日、電話で生出演していました。私は、カルチャーや時事に関するリポートのほか、日本では入手できないレコードを探して、曲についてコメントをしていました」
ドイツ滞在中の仲谷さんは、ピアニストとリポーターという二足のわらじを履いた生活を満喫されていましたが、世界は東西冷戦の終結に向け、激しく変化を始めます。
「ラジオ番組の取材で、現地の知人の車に乗せられ、東ドイツに行くこともありました。帰りの国境検問所では、学生が間違えて東に入ってしまったと言い訳しましたが、無事に戻れるのか不安でした。ドイツの学生ビザを見せると再入国を許可され、オンエアに間に合わせることができました。
また、東欧圏からの亡命希望者が列車の窓から飛び降り、有刺鉄線をくぐり抜けて西に入る事件が後を絶たず、ハノーファーから東欧圏に入る列車に乗ると、2時間おきに銃を携えたパスポートコントロールが乗客をチェックしていたのも記憶に残っています」
ベルリンの壁崩壊後は、物流にも大きな変化があり、東西の商品が相互に流通するようになりました。ここから旧東欧諸国が急速に発展を遂げていきます。
「当時の東欧諸国では、物の種類も少なく、床を拭くのも食器を洗うのも同じ洗剤を使っていました。卵やパンなどの食料品を買うのに2時間も並びます。タクシー運賃なんて、その日の原油価格に合わせて変動していました」
ベルリンの壁の崩壊後、仲谷さんは東欧の変化を肌で感じていました。
「壁の崩壊後の初めての夏、『ワルシャワ現代音楽祭』を取材に行きました。第2次世界大戦で崩れた建物がそのまま残っている光景は、衝撃的でした。
ところが、オペラ座は綺麗に修復されています。一歩入ると、宮殿の中にいるような美しさなのです。音楽祭開催期間は、同時に20ほどの会場でコンサートが開催され、レコードとして保存されました」
一方、東西ドイツの統合で、仲谷さんの進路に、予期せぬ障害が出現しました。西ドイツは、旧東ドイツの学生の教育も受け持つことになり、外国人留学生は全員排除されることになったのです。ドイツで博士号を取得する夢は断たれてしまいました。
1991年、仲谷さんはパリに移住。「パリの外国人社会」というテーマで、FM大阪のラジオ番組に引き続き出演していました。
「湾岸戦争が始まったある日、放送局に出勤すると、みんなが物音を立てないように注意している様子で、局全体が異常に静かでした。何が起きているのか聞いてみると、音に反応する爆弾を仕掛けたと犯罪予告があったそうです。しかし、ブースの中なら大丈夫と言われ、いつもどおり放送を終えました。日本と海外では危険のレベルが違います(笑)」
1998年より活動の拠点を日本に移し、以来定期的に招聘出演を重ねていきました。日本で最初のリサイタル開催時、電話帳で見つけたデザインスタジオに印刷物の依頼をし、そこで出会ったのが、後に旦那様となる洋画家の林寛志氏でした。
2018年からは、演奏活動にプラスして、お父様の事業を継承されています。
「これからも音楽家として発信を続け、また後進の育成をボーダーレスに実現したいと考えております。コロナ禍でピアノ人口は増えてきたようです。今はオンラインでもピアノコンクールが開催できる時代となりました。毎年、夏と冬の年2回『ラナン国際オンラインピアノコンクール』の代表顧問と広報を務めております」
11月23日には、日独交流160周年を記念したピアノリサイタル『ドイツ音楽とピアノ』が滋賀県の浅井文化ホールで開催されます。長年の演奏活動の集大成として、同じタイトルでシリーズ化していく予定だそうです。
年齢を重ねても、スタイルを変えながら息長く活躍されている、アーティストのお手本のような仲谷さんでした。
■目標達成のための3カ条
(1)早朝の時間を有効に使う
(2)常にYESかNOか、選べるポジションに身を置く
(3)何かを実現するためには、別の何かを失うことを恐れない
●日下千帆(くさかちほ)
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も
取材協力・ミャンマー産天然無処理ルビー専門店「モリス銀座店」
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