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低用量ピルの認可、北朝鮮より遅かったワケ/女子アナ日下千帆の「美女は友達」
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2022.03.03 16:00 最終更新日:2022.03.03 16:00
3月3日のひな祭りを中心とする3月1日から8日の1週間は「女性の健康週間」だそうです。また、8日は国連が定めた「国際女性デー」でもあります。
そこで今回は、女性の健康・美容を改善させる技術「フェムテック」の第一人者である女医の対馬ルリ子先生をご紹介します。
青森県八戸市でお医者さまの家庭に育った対馬先生は、高校生の頃から、女性である私がもっと自由に生きるために、世の中を変えたいという強い理想をお持ちでした。
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高校卒業後、浪人が決まると、周囲から「嫁に行け」という声が上がりましたが、医学部を目指すという大義名分のもと、家族を説得し、上京。1年間、東京の予備校に通った末、弘前大学の医学部に合格されました。1978年の春でした。
ところが、弘前行きを前にお父様から衝撃的な事実を告げられたのです。
「弘前に行くと、そっくりな顔の人に出会うかもしれない」
生まれてすぐに、弘前大学薬学部の教授の養子となった生き別れの妹がいることを知らされたのです。
「女性にとって “見た目” は重要な個性ですから、私の存在意義が揺るがされかねないと思いました(笑)。しかし、その頃、妹は東京の大学に通っていたため、初めて再会を果たしたのは、33歳のときでした。妹は薬剤師になっていました。再会後は、3歳下のもう一人の妹も一緒に、3姉妹でよく食事に行ったりしています」
医学部で専門課程を選ぶ際、お父さまからは「耳鼻科を継いでほしい」と希望されましたが、「私にはテーマがある」と、女性支援の初志を貫き、1984年、卒業と同時に東大病院産婦人科に入局。再び上京します。
「ちょうどその翌年、男女雇用機会均等法が施行されたのですが、当初、女性には24時間体制の産婦人科勤務は無理だと言われていました。実際、女性用の当直室もお風呂もなかったのです。さらに子供ができると、『仕事をやめれば』と言われるなど、悔しい思いをしました」
あるとき、公衆衛生審議会に女性が1人もおらず、低用量ピルの認可が繰り延べになっていることを知った対馬先生は、1997年の秋、「性と健康を考える女性専門家の会」の副会長に就任します。
女性が当事者として発言した結果、1999年、ようやく日本でも低用量ピルが認可されました。アメリカで発売されてから、44年もたっていました。
「国連加盟国189カ国のなかで最も遅く、北朝鮮より遅い認可でした。低用量ピルの認可は、女性の社会進出を後押しするはずでしたが、医師で偏見を持つ人もいて、残念ながらまだまだ情報が行き渡っていません。
当時は『避妊が可能になれば女性が奔放になり、性病が蔓延する』といった誤解がありましたが、女性には本来、出産も自分で決める権利があるのです」
2002年、対馬ルリ子女性ライフフクリニック銀座をオープン。25名の医師が連携し、患者さんの治療にあたっています。そして、さらなる女性支援のため、2003年には「女性医療ネットワーク」を、2020年には「日本女性財団」を設立し、女性の健康と医療に関する情報を発信し続けています。
3月6日には、国際女性デーに向けたオンラインイベント「わたしたちのヘルシー 心とからだの話をはじめよう in Mar.2022」を開催します。
「オンラインなら世界中のどこにいてもつながれます。医療現場以外でも、たくさんの女性のお役に立てると考えています。そして、女性のパワーで日本をもっと盛り上げたいですね」
今後、これまで以上に女性が活躍できる社会が到来します。スキルアップも大切ですが、健康はすべての基本です。国際女性デーが、自らの心身の健康を見直すきっかけになるかもしれません。
●日下千帆(くさかちほ)
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も
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