■4代目アシスタント田中瞳アナ
シリーズ化されるほどの人気? と思わせるため、いきなり『2』で始まった『モヤモヤさまぁ~ず2』は、いまやテレビ東京の看板番組のひとつだ。
「さまぁ~ずと街を掛け合わせるとどうなるのか? 当初、読めている人は誰一人いない状況でロケが始まりました」
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こう語るのは、『モヤさま』初回の特番から演出を手がけている株木亘プロデューサー。2006年12月28日、さまぁ~ずと制作スタッフは、どんな番組になるのか判然としないまま、北新宿でのロケに突入したという。それもそのはず、番組の企画書にはこう書かれている。
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あまりにも何もなさ過ぎてメディアで絶対に取り上げることができない超マイナーな街。フラ~っと行って、フラ~っと見て、フラ~っと話を聞く。謎に包まれた「モヤモヤ」したB級な街の実態をさまぁ~ずが明らかにするのです!
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きっと、さまぁ~ずならおもしろくしてくれるであろう、というスタンスだった。ロケから放送日までわずか1週間しかなかった。
「放送は2007年1月3日午後2時からの90分枠。ほんとに捨て枠というか、たまたま空いた枠で、なんとか90分埋めてくれ、っていうところから始まったんです」(株木プロデューサー、以下同)
突発的な出来事を逃さないためにスタッフ陣は考えた。
「ふつうの番組だと、1軒取材したら『OKです!』ってカメラを止めて、次のロケ地へ行くんですけど、このロケは生中継のようにやってみようと考えたんです。起きていることをすべて残す。それこそ、最後の『とれ高OK』が出るまで、カメラを止めずにぶん回していこうと」
ダラダラと裏道を歩く。喫茶店でメニューを開いてどれにするか悩んでいる姿や、サラダを食べているシーンでさえもすべて撮る。
「ロケが始まって2時間ほどして、さまぁ~ずのお2人が『おもしろい番組だね』ってポロッと呟いて。お笑いをよく知るカメラマンも『これ、番組として “あり” だね』って言ったんです。みんな手応えを感じて、これは “あり番組” だと共有したんです」
初回放送を振り返ると、この “あり” の意味がわかる。
さまぁ~ずと初代アシスタントの大江麻理子アナ(当時)の3人は、北新宿の電気店「おぎはら電気」へ入る。店番をしていたのは、92歳(当時)のおばあちゃん。
さまぁ~ずは、おばあちゃんたちと世間話をして店を出る。しばらくして、現場で盛り上がらなかった場合に備えて用意された「とれ高サイコロ」が登場。
サイコロにはさまざまなミッションが書かれているのだが、ここで出た目は、「今すぐ10万円使え!!」。さまぁ~ず一行は、「おぎはら電気」へ戻り、おばあちゃんと再会し、家電製品を大量購入。結果的に、「おぎはら電気」のおばあちゃんが、フックの効いた前フリになったのだ。
「『10万円使え!!』っていうのは、ネタとしておもしろいんですけど、制作サイドとしては予算の関係もあっていちばん出てほしくない目でした(笑)。
それから何軒かロケをしたけどお金を使うところが見つからない。そこで三村(マサカズ)さんが『さっきの電気屋さんに行こう』って言いだしてストーリーが出来上がった。ふつうの番組では、ロケに行った場所へ戻るのはあり得ないんですけどね。これは番組的に “あり” だと感じたエピソードのひとつです」
先行きの見えなかった正月特番『モヤさま』は、箱根駅伝の裏番組だったが、テレ東上層部の予想の3倍の視聴率を獲得。4月から深夜帯でのレギュラー放送が決まった。
『モヤさま』に欠かせないのが、女性アシスタントの存在だ。大江麻理子キャスター(2007年~2013年)、狩野恵里アナ(2013年~2016年)、福田典子アナ(2016年~2019年)、田中瞳アナ(2019年~現在)。
ふだんは、ゆるさがウリの街ブラ番組だが、アシスタントの交代劇だけは制作陣が袖を捲って作っている感がある。特に卒業回は、感動を呼ぶ涙腺崩壊バラエティだ。株木プロデューサーに、歴代アシスタントの卒業回を振り返ってもらった。