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清水寺で史上初のクラシック演奏を奉納したピアニスト…結婚も離婚も “音楽の肥やし” /女子アナ日下千帆の「美女は友達」
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2022.06.02 16:00 最終更新日:2022.06.02 16:00
「1台のピアノが『どこでもドア』になるのです」
こんな面白い表現を使って話し出す美女は、スペインを拠点に国際的に活躍するピアニストの西澤安澄さんです。
「見えないものこそ大切です。音楽には形がない。でも、音を聞くことで、いろいろなシチュエーションをイメージできるじゃないですか。夜や朝、時間や場所までも。それを表現する手段がピアノです。私にとって、1台のピアノこそが『どこでもドア』なのです」
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西澤さんは、千葉県千葉市出身。小学校の頃、お父様のご友人からピアノを贈られたのをきっかけに、近所のピアノ教室に通うようになりました。
ピアノが好きで好きで、受験でピアノを弾く時間がないと息苦しささえ感じた西澤さんですが、両親に音楽高校に進みたいと言うと、お父様から大反対にあいました。
「私は言葉でのコミュニケーションが苦手なので、音楽がないと生きていけないと思っていたのです。でも、父からは『普通の人になってくれ』と言われました(笑)。
桐朋女子高校の音楽科に入学してみると、ライバル意識が激しくて、怖い世界に入ったなと感じました。
先生からは『頑張ればコンクールで勝てるよ』と言われましたが、楽譜どおりの正確な演奏なんてコンピューターのように思えたのです。コンクールなんてうさんくさいと思うような、面倒くさい生徒でもありました」
とは言いつつ、高校2年生のときに町田市のコンクールで優勝。器用で優秀な生徒だったことは間違いありません。
「1996年に大学を休学し、パリへ留学に行きました。フランス人は目的がはっきりしている人には協力的でした。偶然出会ったマダムが、無償で練習場所を提供してくれたこともありました」
1998年、フランスの巨匠ドミニク・メルレに見出され、ジュネーヴ音楽院に入学。卒業時は、教授陣の満場一致で首席となりました。その後、スペインを代表するピアニスト、ホアキン・ソリアーノに招かれ、2002年に拠点をマドリッドへと移します。
「ジュネーブは、日本のようにすべてがオーガナイズされていて、サプライズが少ない街でした。それに比べてマドリッドは180度真逆でした。
たとえば、飲みに行こうと誘われたのに、当日の夜になっても何の連絡もない。いい加減だなぁと思っていると、夜の9時30分くらいに電話が来て、0時に待ち合わせ。そこから、朝4時まで飲んでしゃべって踊って、といった日々を過ごしました」
2018年まで、マドリッドを拠点に世界中でコンサート活動を続けます。その間に、プライベートではイタリア人男性との結婚、離婚など、“音楽の肥やし” となる人生経験を重ねました。
「凡人は、いろんな経験をしないと、ベートーヴェンもショパンも表現できない。楽譜は、単なる設計図で、“骸骨” でしかないのです。そこにどう肉付けしていくかが大切。人生の痛みがわからないと、100%の表現はできないと思います」
人生経験が深みのある音を生み出し、西澤さんの演奏はますます表現豊かになっていきました。
2000年に一時帰国した際は、宮藤官九郎監督の映画『福耳』にピアニスト役で出演。また、2008年には、京都の清水寺で史上初のクラシック奉納コンサートを開催するなど、日本での演奏も精力的にこなしています。
2018年からは頻繁に帰国するようになりました。この夏も上野(6月11日)、釧路(6月25日)、飯田橋(7月9日)の3回のコンサートが予定されています。
「演奏を聞いてくださった方が、音楽で癒されたり、生きる希望を持っていただけたら嬉しいです」
魂で感じたことを音に乗せて表現する西澤さんの演奏を聞けば、「どこでもドア」さながら、きっとどんな場所にも連れていってくれることでしょう。
■幸せに生きるための3カ条
(1)好きなことをやる
(2)人が何を言っても気にしない
(3)失敗を愛する心を持て
●日下千帆(くさかちほ)
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も
( SmartFLASH )