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宝塚に合格した「松岡修造の娘」がテニスをやめた理由

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2017.04.24 12:00 最終更新日:2017.04.24 12:00

宝塚に合格した「松岡修造の娘」がテニスをやめた理由

 

「観てくださる方々が、少しでもすがすがしい気持ちになっていただける男役を目指したいです」

 

 タカラジェンヌを養成する宝塚音楽学校に姿を見せた女のコは、集まった記者にそう話した。169cmのすらりとした長身に、リーゼントの髪型。涼しげな目元が印象的な彼女の名前は、松岡恵さん(17)。元プロテニスプレーヤー、松岡修造(49)の長女である。

 

 父はご存じ「日本一熱い男」。恵さんがまだ母・惠美子さん(元テレビ東京アナウンサー・51)のお腹にいるときから、胎教としてテニスの壁打ちの音を聴かせた。

 

 生まれて物心がつくと、修造は当然、恵さんにテニスを教えた。だが、「やる気があるのか!」などと怒鳴る父に嫌気がさしたのか、娘は小学校でテニスをやめた。

 

「恵さんは子供のころから、夫婦ゲンカの止め役。松岡家は、たとえば休みの日に出かけるにしても、修造さんが『本当に映画でいいのか? なぜこの映画なのか?』などと奥さんを問いつめはじめるからケンカになる。それを間に入ってなだめるのが恵さんの役目だった」(松岡家の知人)

 

 修造の方針で、松岡家は朝食が夕食並みに豪華で、家族そろって食べる。

 

「これを嫌がって、いつも『よその家のような朝ごはんがいい』と言っていたのも恵さん」(同・知人)

 

 どこまでも「修造流」が苦手だった。

 

 彼女が興味を持ったのは音楽。ここにも、修造の熱くるしい励ましがあった。恵さんが小6のとき、父とミュージカル『レ・ミゼラブル』を観に行った。

 

 父は感動して大泣き。そして休憩時間に「お前は、ジャン・バルジャンの気持ちがわからないのか!」と12歳の娘を相手に声を荒らげた。恵さんはただ困惑したという。しかしその後、ミュージカルへの興味は増していったのである。

 

「中学3年のとき宝塚のDVDを観て虜(とりこ)になり、高校では宝塚研究会に所属、校内でミュージカルを上演し主役を張った。バレエと声楽のレッスンは欠かさなかった」(別の知人)

 

 夢に向かって進む娘を、修造はブログで「感謝の思いを大切に自分の道を歩んでほしい」と応援。今度こそは娘の心に響いたはずだ。

 

(週刊FLASH 2017年4月18日号)

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