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タブーに挑戦する「朝まで生テレビ!」オンエアまでの苦労

芸能・女子アナ 投稿日:2017.04.27 11:00FLASH編集部

タブーに挑戦する「朝まで生テレビ!」オンエアまでの苦労

『写真:テレビ朝日』

 

「制作費が安いから出演者のタクシー代を出せない。なら、始発まで続く番組がいい。長時間やるなら、真剣勝負の討論番組をやれば面白い」
 

 

 30年前、テレビ朝日は深夜に新しい番組を開拓しようとしていた。編成局長から相談された田原氏の提案で1987年4月、『朝まで生テレビ!』が開始。第1回のテーマは「中曽根政治の功罪」だった。以来、深夜の討論バトルは約360回に及ぶ。

 

 田原氏が選んだ名討論の出演者を直撃した!

 

■天皇論

 

 ソウル五輪開催中に放送された「昭和63年、秋 オリンピックと日本人」(1988年9月放送)。だが、じつは隠れたテーマがあったと語るのは、出演していた元東京都知事の猪瀬直樹氏。

 

「当時、昭和天皇の体調不良が報じられ、国民の最大の関心事は『天皇』だった。田原さんはいまこそ天皇論をやるべきだと考えたが、タブー視されていた。そこで、オリンピックからスタートし、途中で天皇論に変えていこうと作戦を立てた。だがみんな、なかなかそっちへ(話が)行かない」

 

 その口火を切ったのが猪瀬氏だった。

 

「当時は五輪報道まで自粛していた。そこで、それはメディアの在り方としてどうかと切り出した」

 

 この年の暮れ、再び「天皇」はテーマとなった。そして年が明け1月7日、昭和天皇は崩御。『朝生』が取り上げたことで、「天皇」はタブーではなくなった。

 

 これまで60回以上も『朝生』に出演している猪瀬氏。彼の『朝生』評は?

 

「本来、テレビは生放送で何が起きるかわからない。そういうスリルがあったが、録画技術の発達でVTRばかりになり、つまらなくなった。そんななかで『朝生』は再び『生』にこだわったから、面白かった。今後はネットニュースなど新しいメディアが『朝生』のような役割を担うのではないだろうか」

 

■右翼論

 

 一方、「激論! 日本の右翼と言論の自由と暴力!!」(1990年2月放送)は、いわゆる右翼の論客が勢揃いした前代未聞の放送となった。きっかけは、同年1月に起きた長崎市長の銃撃事件。

 

 当時、30歳過ぎで参加していた「一水会」代表の木村三浩氏が言う。

 

「あらためて右翼の人たちが何を考えているのか、テロリズムが惹起される動機は何か、そういうことを議論したいということでした」

 

 準備は慎重におこなわれた。

 

「初めてのことでしたから、『議論に勝っても負けても、あとから抗議に来たり騒いだりしない』という事前の確認がありました」

 

 その後も、番組に何度も出演している木村氏にとって、「朝生」は「議論の格闘場」だという。

 

「組織を代表しているわけだから議論に負けるわけにいかない。勉強もしなければいけない。田原さんに発言を遮られることもありますが、それで逆に鍛えられました。当時、右翼に言論の場はほとんど与えられておらず、思想を鍛え、訴える場を提供してくれた『朝生』には感謝しています」

 

■ヤクザ論

 

 高山登久太郎・四代目会津小鉄会会長が中継で出演し、大きな話題となったのが1992年2月放送の「激論! 暴力団はなぜなくならないか!?」だった。

 

 出演の仲介も務めた宮崎学氏が、舞台裏を明かす。

 

「高山会長の承諾は取りつけたものの、局の上層部が『現役のヤクザ、それも親分をスタジオに呼んだら何をしゃべりだすかわからない』と。じゃあどうしようかということで、妥協策として、ホテルからの中継になったのです」

 

 番組は、1992年3月に暴力団対策法が施行される直前のタイミングで放送された。

 

「出演者の大半は『とにかく暴力団はいけない』と主張するばかりでしたが、私は『暴力団を生む社会』そのものを問題にしました。それについて議論しなければ、暴力団はなぜなくならないのか、という問いの答えは出てこない。それにしても、現役の暴力団会長を出演させた田原さんや番組スタッフの交渉力は、すごいと思います。普通はけっして出ないような人が出てくる。これも『朝生』の魅力です」(前出・宮崎氏)

 

(週刊FLASH 2017年4月18日号)

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