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あんみつ店長、平安時代の醍醐天皇が愛した「わらび餅」を再現/女子アナ日下千帆の「美女は友達」

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2022.07.07 16:00 最終更新日:2022.07.07 16:00

あんみつ店長、平安時代の醍醐天皇が愛した「わらび餅」を再現/女子アナ日下千帆の「美女は友達」

日下アナ(左)と中野さん

 

 美味しい甘味処に詳しい女性は多いと思いますが、平安時代の醍醐天皇が好んだわらび餅が食べられる店をご存知の方は少ないのではないでしょうか? 今回ご紹介する美女は、全国から集めた最高の食材で当時の甘味を再現する “あんみつ店長” こと中野綾子さんです。

 

「わらび餅は、なんと平安時代から宮中で食されていたのですよ。平安時代の醍醐天皇は、わらび餅に官位『大夫従五位』を授けてしまうほど愛されたそうです(「勧修寺家文書」などによる)。実際、わらび餅は別称『岡大夫』と呼ばれ、宮廷内で親しまれました。

 

 

 当時の文献から私がわらび餅を再現したところ、召し上がった藤原家末裔の堤公長様(宮内庁掌典)から『醍醐天皇御好みあまから岡大夫』とご認定いただきました」

 

 小柄でショートヘアがよく似合う中野さんは、愛知県出身。小学校6年生のとき街でスカウトされ、CMやポスターのモデルとして活躍しました。

 

 大学卒業後、右も左もわからないまま上京しましたが、東京で出会った同世代の女性たちが、世の中を論理的に分析し、夢を語ることにカルチャーショックを受けたそうです。

 

 それまであまり勉強しなかったことに焦りを覚え、25歳のとき、中学校の教科書を取り寄せて復習を始めました。その後も、フランス語や英語、歴史、絵画、手話、ソムリエ、利き酒、茶道と、次から次へとストイックに学び続けていきました。

 

「ところが、自分が本当にしたいことが見つからないので、どんなに勉強しても満足することはありませんでした。毎日10時間以上勉強を続け、何度も円形ハゲができました」

 

利酒師を目指していたころ

 

 この頃はいくら頑張っても学びによる充足感を得られず、焦りだけを感じたそうです。しかし、のちにこの苦労が報われるときがやってきました。

 

 30才で茶道速水流師範の免状を取得すると、ニューヨーク、ロサンゼルス、ジュネーブ、インド、キルギスなど、世界中で茶の湯を紹介する役目がまわってきたのです。もちろん、ハゲができるほど勉強した外国語も役立ちました。学びに無駄はありません。

 

茶道活動

 

 グローバルな舞台で活躍していた中野さんですが、誰の人生にも運気の波はあるものです。2015年は試練の年になりました。

 

「経験を積み、満を持して新たな挑戦をしようと、表参道(東京都渋谷区)にレストランをオープンしたのですが、開店初日に店長に現金を盗まれてしまいました。問い詰めると、店長は自分が採用したほとんどの従業員を連れてやめてしまったのです」

 

 中野さんは、レストランの運営ができなくなり、閉店を余儀なくされました。残ったのは巨額の借金です。

 

「あまりのショックに傷つき、3年近く引きこもりました。当時の交友関係もほとんど切れてしまいました」

 

 この引きこもり期間は、初めて自分とゆっくり向き合う時間になりました。自問自答を繰り返した結果、自分が本当にしたいことは、子供のころから好きだった抹茶を出すカフェだと気づきました。カフェのことを考えると、とてもワクワクすることがわかったのです。

 

 少しずつ心の傷が癒えて外出できるようになったある日のこと、ときどき利用していた京橋(東京都中央区)の抹茶カフェが閉店することを知りました。

 

「『このまま居抜きで貸してください』とすぐに直談判に行ったのですが、紹介もなしに飛び込みで交渉したので、当然、断られました。その後、コロナ禍で1年半経ってもその物件が空いていたので、もう一度お願いしたら、ラッキーにもOKの返事をもらえました」

 

 そして昨年10月、京橋駅徒歩2分の好立地に甘味処「あまから茶屋」をオープンする運びとなりました。

 

「醍醐天皇が食したレシピを再現した『どろろん本わらび餅』は、国産の最高級の本わらび粉100%です。注文を受けてから練り始めますので、温かいトロトロの状態で召し上がっていただけます」

 

 本物のわらび粉はすぐに固まってしまうので、練るのがとっても大変だそうです。

 

「50歳を前に、初めて人から裏切られたことは、私にとって人生が終了してしまうような衝撃でした。でも、耐えて乗り越えたことで成長し、いまは日本のため、地球のために生きようと思っています」

 

 いま中野さんが目指していることは、モデル時代から実践していた「正しい食事」を多くの人に伝えることだと言います。

 

「江戸時代は農薬や化学肥料などがなく、サスティナブルな循環型農業でした。食事は玄米を中心とし、その土地で採れる旬な野菜や魚を余すことなくいただくものでした。

 

 また、食材を保存するための麹菌をたくさん摂取していました。おかげで江戸時代の人は力持ちで持続力があったんです。明治になって、ドイツのベルツ医師が、休まずに走り続けられる人力車の車夫に驚き、日本の食事を研究したという話は有名です。

 

 しかし、昭和になると、大量生産された農薬や化学肥料を使った作物、ホルモン剤の入った餌を与えられた魚や家畜などが当たり前のように広がっていきます。私は、江戸以前の自然な食事こそ、日本人の健康の源だと信じています」

 

 日本古来の食はミネラルが豊富で、体によいものばかり。ハードワークにもかかわらず、中野さんが元気でいられる秘訣は、江戸時代をモデルにした食事のおかげのようです。

 

■食で健康な体になるための3カ条

 

(1)玄米や旬の野菜などを中心に、なんでも楽しんで食べる!
(2)お味噌やお漬物などから日本の宝物「麹菌」を摂る!
(3)毎日、口にする塩や調味料こそ、昔ながらの本物を使う!

 

日下千帆(くさかちほ)
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も

 

( SmartFLASH )

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