芸能・女子アナ
50歳になって女優専念を決意「夢はレッドカーペット」/女子アナ日下千帆の「美女は友達」
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2022.08.18 16:00 最終更新日:2022.08.18 16:00
「つらいことがあって泣いているときに、ふっと我に返って鏡を見るのです。どのくらい涙が出ているのか、どんな表情をしているのか観察している自分がいるのですよ。人生に起きるすべての出来事は、女優だからこそ活かしていけるのだと思います」
今回ご紹介する美女は、何度もキャリアを中断せざるをえない出来事を経験し、50歳にしてようやく女優に集中できる環境を手に入れた三木美加子さんです。
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北海道函館市出身。モデル事務所にスカウトされ、高校卒業とともに上京。20歳で結婚し、翌年に長女を授かるも、結婚生活は3年で破綻してしまいます。
ここからもう一度人生をやり直そうと、俳優養成所に通い、25歳のときに映画『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』(1997年)のオーディションに合格。女優デビューを果たします。
「岩下志麻さんや火野正平さんが出演している話題作で、『瀬戸内少年野球団』『少年時代』に続く “少年3部作” の3作目でした。私の役は、言葉を話せないリリーというサーカス団員の少女で、全編セリフなしで演じました」
デビューから難しい役を経験されて、その後も出演依頼がたくさん来たのではないですか?
「ところが、翌年、6歳の娘が交通事故で大けがを負い、3年間入退院を繰り返したので、まったく仕事ができない状態に陥ってしまったのです。デビュー直後でしたが、このときは女優をやっている場合ではないとあきらめました」
しかし、『お母さんには女優を続けてほしい。常に輝いていてほしい』という娘さんからの言葉に背中を押され、28歳からテレビドラマに復帰。『天までとどけ』(TBS系)や『はぐれ刑事純情派』(テレビ朝日系)などに出演し、女優としてのキャリアを順調に積み重ねていきました。
ところが、交通事故から10年後、裁判も終わり、すべてが解決した後のある日、突然、朝起きてカーテンが開けられない、光を見られないという不可解な症状が表れたのです。
「この症状が1カ月以上続き、だんだん食事も細くなっていきました。心療内科で受診したところ、うつ病と診断されました。ですが、『これまでいろいろなことを乗り越えてきた私は、もっと強いはず』という思いが強く、病院を転々としました。
公園に行って裸足になり、土を踏んで陽を浴びるということを日課にしていましたが、日によっては100m先の公園までたどりつけず、泣きながら帰ってくる日もありました」
そんな三木さんに希望を与えてくれたのは、かかりつけの医師の一言でした。
「僕は、診療時間以外でも、24時間あなたの味方です。悩んだ人間は必ず幸せになります。僕に預けてください」
この言葉を聞いた瞬間から、三木さんは元気になっていったそうです。
40代になると、娘さんの学費を工面するため、自宅で美容サロンを開業します。女優の仕事が入ったときには、近所のママ友の協力を得て、いつでも子供を預かってもらえる体制を整えましたが、やはり優先順位は母親業が上でした。
しかし、2016年から3年間で「美肌食マイスター」「アンチエイジングアドバイザー」などの資格を次々に取得。内側から美しくなる方法を学ぶ一方、「ジュエリーアドバイザー」の資格も取り、外側から美しくなる方法も手に入れました。そして、ついにパール専門ブランド「mikako jewelry」まで立ち上げてしまったのです。
「50才になったとき、マラソンのゴールテープを切るビジョンが見えたのです。それから急に楽に生きられるようになりました。以前は離婚、子育て、娘の交通事故と、女優ができない言い訳を探していたような気がします。事務所も大手に変わり、芸名も完璧な画数に変えました。もうこれ以上、言い訳はできません」
夢は、桜色の着物を着てレッドカーペットの上を歩くこと。
「日本人の誇りをもって、堂々と歩きたいです」
8月21日には、テレビドラマ『奇跡のごはんドラマ~感動秘話まるごといただきます』(日本テレビ系)に千鶴子役で出演されます。また、ジュエリーデザイナーとしては、11月に日本橋三越で天然石のブレスレット講座を開催予定です。
これからも女優、デザイナー、講師などさまざまな顔を持ちながら、活躍されることでしょう。
■美しく生きるための3カ条
(1)健康的な食事(基本は1汁3菜)
(2)運動
(3)学び
●日下千帆(くさかちほ)
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も
( SmartFLASH )