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ジャパンタウンを作る! 日本を「第2の故郷」と呼ぶスリランカ人の成功法則/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2022.10.16 16:00 最終更新日:2022.10.16 16:00
みなさんは、1998年から2002年まで放送されていた『ここがヘンだよ日本人』(TBS系)というバラエティ番組を覚えていますか? 世界各国から集まった強烈な個性のゲストたちが、毎回、さまざまなテーマについて討論する人気番組でした。
そのなかで、スリランカ代表として出演していたぺレラ・ルワンさんは、当時、東京大学の大学院生でしたが、現在はスリランカの労働大臣補佐官兼、観光大臣補佐官として活躍しつつ、ビジネスマンとして世界中を駆け回っています。
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9月29日におこなわれた安倍元総理の国葬の際は、ウィクラマシンハ大統領に同行しています。今回は、日本を「第2の故郷」と呼ぶルワンさんに、世界を股にかけて活躍するための “グローバルキャリア成功の秘訣” について話を聞きました。
――なぜ留学先に日本を選んだのですか?
「物心ついた頃、すでにスリランカは内戦中でした。学校に行けない日が1年続くこともあって、自宅で勉強していました。当時、教師だった母から『技術を学びなさい』というアドバイスを受け、兄はインドに行き、私は日本に行くことにしました。日本を選んだのは、国費留学生という制度があったからです。18才のときに初来日しました」
――初来日の印象はいかがでしたか?
「日本のことは、映画やテレビで見たことがあるだけで、ほとんど何もわからないまま来てしまいました。もっと英語が通じると思っていたのに、当時は表示も日本語ばかりで、移動にも苦労しました。
日本に来たのは4月でしたが、半袖しか持っていなかったので、スリランカからの留学生5人で寒くて震えていました。人生初の寒さで、『こんな寒いところでは生きていけない。みんなで帰ろう』と話したほどです。でも、滞在するうちに日本が大好きになりました」
――日本を好きになったきっかけは?
「来日して3カ月間は、国費留学生が日本語学校に通うため寮に入ります。週末は、世話をしていただく日本人のお母さんたちの家にホームステイしたり、スリランカの料理を作ってあげたりとさまざまなイベントを楽しみました。日本人の心を学ぶうちに、日本が好きになりました。
その後、山口県の徳山工業高専に入学し、3年間を地方で過ごしたのですが、この3年間は人生で一番の宝物です。同じ留学生でも、いきなり都会の大学に入った人と田舎で暮らした経験がある人とでは、日本への思い入れが大きく違うと思います。今では、日本の方が暮らしやすいと思っています」
――学生時代は日本でタレント活動をしていたそうですね。
「はい、『そこがヘンだよ日本人』という番組を見ていたら、スリランカ人が間違ったことを言っていたので、テレビ局にクレーム電話をかけたのです。すると、『それなら番組に来て自分で意見を言ってください』と言われ、出演することになりました。その後は、ナイキや日産などのCMにも出演しました」
――東大大学院でITの勉強をしたそうですが、 就活は日本人学生と同じようにされたのですか?
「はい。ソニーを受験したのですが、面接の途中でアメリカ留学が決まってしまいました。正直に話したところ、ソニーから『会社としても行ってほしい』ということで、1年間猶予をいただいたうえ、『困ったら連絡しなさい』とシリコンバレーにいる社員を紹介されました。帰国後の2004年10月に入社し、2021年4月までの17年間、ソニーで働きました」
――ソニーではどのような仕事をされたのですか?
「主に半導体関係です。ブラビアのICチップの製造や、SUICAのような電子マネーのIC技術を海外に導入するプロジェクトにも参加しました。インド、スリランカ向けのプロジェクトは自ら提案し、2週間に1度は海外出張に行くようになりました。
ソニー在籍中に日本に帰化し、梨木という苗字を使っていたので、出張先では日本人が来ると思っていたようです。実際に会ってよく驚かれました(笑)。しかし、仕事をするうち、もっと日本とスリランカの懸け橋になりたいと思うようになり、退社して帰国し、会社を立ち上げました」
――現在、労働大臣と観光大臣補佐官のほか、ホテル経営もされているそうですが、この先どのような計画がありますか?
「スリランカのバンダラナイケ国際空港に隣接するホテルを、現在、建設中です。その一帯を、ジャパンタウンにしたいと考えています。また、日本企業のインド進出は、スリランカで製造して輸出すれば税金の優遇があるので、日本企業のスリランカ進出を支援したいと思います」
――日本とスリランカの懸け橋となったルワンさんのように、世界を股にかけて活躍するために必要な3か条を教えていただけますか?
「 私の場合ですが、
(1)他国の文化と心を正しく理解する。それを母国だけでなく、世界中に伝えたい
(2)国境を問わず、世の中をよくしていきたいと常に考える。特に恵まれない子供たちへ楽しい未来を作っていきたい
(3)新しいことにチャレンジし、実現する過程を楽しむ。相手の評価を基準にするのではなく、自分で自分を評価して成果を楽しみたい」
日本で学んだ国費留学生が成長し、両国の懸け橋となって活躍されていることを、日本人として大変うれしく思います。ジャパンタウンができたら、ぜひ一度スリランカを訪れたいです。
日下千帆(くさかちほ)
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も
( SmartFLASH )