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伝説のトレーダー・藤巻健史に学ぶ成功のキャリア「営業は心理学」「必要なのは耐える力」/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」

芸能・女子アナ 投稿日:2023.01.08 16:00FLASH編集部

伝説のトレーダー・藤巻健史に学ぶ成功のキャリア「営業は心理学」「必要なのは耐える力」/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」

藤巻さんと日下アナ

 

 物価は上がり、税金も上がり、でも給料は上がらない…日本経済の先行きを憂う声があちらこちらから聞こえてきます。こうした時代を、私たちはどのように生き抜けばいいのでしょうか。

 

 今回は、モルガン銀行東京支店で「伝説のトレーダー」の異名をとった経済評論家の藤巻健史さんにご自身の経験から、成功に繋がる仕事の心構えについてアドバイスをいただきました。

 

 

 1950年、東京・目黒に生まれた藤巻さんは、3才の時の生みの母を失い、祖母の住む新宿に移りました。幼少期は、伊勢丹のおもちゃ売り場を遊び場にする都会っ子生活でした。1974年、一橋大学商学部を卒業して、三井信託銀行(現・三井住友信託銀行)に入社します。

 

――就活時に銀行を選ばれた理由は?

 

「1974年と言えば、売り手市場でね。私の周りの学生は95%が銀行か商社に行きました。高校時代にスキーで足を折った経験があり、自分には体力勝負の商社は無理と判断し、社長になれるのではないかと考えた銀行を狙いました(笑)。

 

 しかし、信託銀行の仕事って、ほぼすべてが新規顧客への営業なんです。普通の家々に飛び込み営業しては、退職金や土地売買のお金を集めるスタイルだったのです。

 

 私は口下手でしたが、千葉支店時代は記録的な売り上げ成績をあげることができました。なぜかというと、営業は心理学なんですよ。当時の銀行って、何から何まで規制されていて、他社との差別化がいっさいできないんです。だからこそ、営業マンの人間力が問われるんです。

 

 この家にはこれくらいの訪問頻度がいいだろう、奥さんにアタックするか、それともご主人かなど、お客様の状況や好みを考えて営業しました。

 

 結果的に言えば、ペラペラ商品説明するよりも口下手が受けたのです。実は中学のとき、好きな女の子に好かれるにはどうしたらいいのかを、常に考えていました。振られまくった経験から『耐える力』がついて、営業力につながったと思っています。

 

 とにかく重要なのは、若いうちは仕事に耐えることです。いつか評価される時が来ます」

 

――1980年に、アメリカのノースウェスタン大学でMBAを取得されていますが、当時は珍しかったのではないですか?

 

「英語は苦手でしたが、このままではずっと営業畑になってしまうと思い、社費での留学制度に手をあげました。2年に1人程度しか選ばれない狭き門でしたが、営業で頑張った結果が役員に認められたようです。

 

 実は、私の前に面接を受けた同僚から、すでに私の名前に丸がついていたと教えてもらいました。これは、それまでのがむしゃらな仕事ぶりが上から評価されていたのだと思います。

 

 そういえば、あるとき、伊勢丹に勤めていた弟が文房具売り場に配属されて、『消しゴムを売るために大学を出たんじゃない』と落ち込んでいたことがありました。

 

 そのとき私は『死ぬほど働け。消しゴムを売りまくれ』とアドバイスしました。その後、弟は『伝説のバイヤー』になったわけですが、若い頃はがむしゃらに働くと、のちにその経験が活かされて自分に返ってくるものです」

 

――1985年にモルガン銀行に転職されましたが、これはなぜでしょう?

 

「アメリカから帰国後、ディーリングルームに配属になりました。ですが、将来の幹部候補育成のためのMBAだったはずが、会社の方針が変わり、単なる海外要員になってしまったんです。1982年からロンドン支店勤務となりましたが、外国はイヤでイヤで(笑)。

 

 そのとき、外資でディーリングルームにいれば、一生日本にいられると判断し、転職しました。日本のマーケットで売買するには、国内事情がわかっている日本人の方が向いているのです」

 

――トレーダー時代、一番たいへんだったことはなんですか?

 

「トレーダーは、3度、血反吐を吐かないと大成しません(笑)。入ってすぐに3000万円も負けて、クビになるかと思いました。クビになったらハイヤーの運転手になろうと考えていましたが、のちに3000万円など、数秒で失い、数秒で取り返せる金額だとわかりました。

 

 いまでは、なんであのとき、あんなに少額の損で悩んだのだろうと、苦しんだのも懐かしく思い出されます。

 

 1991年1月17日、湾岸戦争が始まったときは、ポジションが逆に動いてしまい、1日30億円の負けを3日連続で出してしまいました。合計で90億円です。突然できた円形脱毛症の写真をユーモアのわかる上司に送ってみましたが、返答がなく、事の深刻さを実感しました」

 

――逆に、トレーダー時代、一番楽しかったことは?

 

「1998年12月から11月の資金運用で、長期金利が2.65%に跳ね上がり、1カ月で300億円儲かったことがありました。ボーナスが10億円出ることになって、ボーナス査定期間の残りの11カ月は海外旅行でもして遊んでこいと言われました。

 

 でも、せっかくだから、未来永劫破られない記録を打ち立てようと思い、休まずがんばったら、次の1カ月で儲けがゼロになり、ボーナスがパーになりました。楽しかったというより、悔しかったことですね(笑)。

 

 まぁ、トレーダーになって、普通ではできないことをたくさん経験しましたよ。ファーストクラスに乗ってロンドン日帰り出張とかね。荷物は歯ブラシ1本と単行本一冊だけだったから、成田の入国時は怪しまれて止められたりして」

 

――お金で買えない欲しいものはありますか?

 

「妻からの尊敬ですね。七夕の短冊には、毎年書いています(笑)」

 

 日頃、日本経済に厳しい指摘を繰り返す藤巻さんですが、日本は落ちるところまで落ちたら、必ず回復しますと話します。2023年は “底” の年になるのでしょうか。どんな時代になっても生き残っていけるよう、精進したいと思います。

 

■2023年をサバイブするための3カ条

 

(1)現実を直視しろ
 次の日銀総裁がなかなか決まらないのは、0.5%の金利上げが、すでに崖っぷちの政策だから。日本経済の破綻を前提に考えよう
(2)政府に頼るな
 自分で資産防衛を。ドルを持つのは保険を掛けるのと同じ
(3)英語を学べ
 英語さえできれば、なにかしら仕事が見つかる

日下千帆

1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も

( SmartFLASH )

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