芸能・女子アナ
三浦瑠麗に勝訴した元アナウンサー、横浜の海を見ながら1人で祝杯/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2023.04.23 16:00 最終更新日:2023.04.23 16:00
テレビ朝日アナウンス部の後輩だった西脇亨輔さんは、2008年、本人の希望で法務部へ異動しました。出演者という立場から “縁の下の力持ち” になったわけですが、先日、彼の名前が大きく報道されることに。テレビでよく見かける政治学者の三浦瑠麗さんを訴え、勝訴したというのです。
いったい彼の身に何が起きたのか、お話を伺いました。
西脇さんは東京都出身。東京大学在学中に司法試験に合格。卒業後は、2年間の司法研修を経て、弁護士事務所を中心に就職活動を始めます。
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しかし、ある日、目標をアナウンサーに変更し、1995年、テレビ朝日に入社。アナウンス部在籍中は、『ワイドスクランブル』『やじうまプラス』『ニュースステーション』などの番組を担当しました。
――司法試験に合格したのに、どうしてアナウンサーを目指したのですか?
「司法試験に合格するまでは、毎日、自習室に入り浸っていたので、ほとんどテレビを見ていなかったのです。司法研修所に入って、宇都宮地裁に配属されたとき、初めて一人暮らしをして、久しぶりにテレビを見ました。
『ニュースステーション』を見ていたら、出演者がピカピカに輝いて見えて、同じ人間なのに何が違うんだろう、どうすればこんなふうに人の心を動かせるのか知りたいと思ったのです。
それから週1で、宇都宮から恵比寿にあるアナウンスアカデミーに通うようになりました。無事に入社試験に合格し、アナウンス部へ配属されたのですが、大反対していた父が、知らない間に人事部長を訪ね、内定を取り消してくれと頼んでいたようです。あとから人事部長が話してくれました」
――その後、後輩アナウンサーと結婚しましたが、いきさつは?
「2人とも朝の情報番組を担当していました。あるとき、僕が体調を崩したので、オンエア後に彼女が看病に来てくれることになりました。2人で銀座線に乗っていたら、偶然、FLASHの記者が同じ車両に乗っていたらしく、交際を記事にされたのです。その後、話し合って、結婚に話を進めることになりました」
――では、アナウンス部を離れた理由は?
「2人で同じ部署にいるのは、なにかと不都合かと思いました。彼女の方が若かったので、まだアナウンス部でやりたいこともあるだろうと、私が法務部への異動願いを出すことにしたのです。
それまで出演者側にいたのが、問題発言のお詫びなど裏方に回り、いろいろ学ぶことがありました。ただ、結婚生活が10年になる頃から、徐々に2人の関係はおかしくなってしまいました」
――三浦瑠麗さんを提訴するに至った経緯は?
「私は何とか関係を修復したかったのですが、2018年12月に、彼女から離婚訴訟を起こされてしまいました。私は訴訟のことは周りにも言わずひっそり対応しようと思っていましたが、その最中の2019年4月、彼女がNHKの記者と同棲中だという疑惑を『週刊ポスト』が報じました。
すでに別の男性がいたなんてまったく知らず、落ち込んでいたところ、追い打ちをかけるように、三浦さんがツイッターで、離婚訴訟係争中であることを暴露したのです。
ツイッターには私たちの結婚が破綻したのはNHK記者のせいではないとも書かれていました。三浦さんとは面識もなく、攻撃を受けるいわれもありません。青天の霹靂だったので、本当にショックで傷つきました。
裁判を起こすか、それとも我慢するか迷いましたが、勝手にプライバシーを暴かれたり、私たちの結婚生活について一方的に決めつけられたことへの怒りが抑えきれず、3カ月後に提訴しました。
2021年11月、第一審で、三浦さんのツイートはプライバシーを侵害するもので、不法行為にあたるとの判決が出ました。その後、三浦さんは控訴、上告し、今年3月、最高裁でようやく結果が出たのです。先日、三浦さんからは、賠償金30万円に利子を加えた約35万円を振り込んでいただきました」
――最高裁から勝訴の通知を受け取ったときは、どんな気持ちでしたか?
「やっと終わったんだ、とホッとしました。嬉しいというより、長かったので、燃え尽きた感じです。最高裁では、相手が何を言って、どこまで進んでいるかなどの途中経過の通知は一切なく、いきなり最終決定が郵便で届くことになっていたので、毎日ポストに最高裁からの書留が来ていないかチェックしながら、落ち着かない日々を過ごしました。
4月には裁判所の人事異動があるため、3月中に結果が出るだろうと思っていましたが、予想どおり、3月22日に三浦さんの上告棄却の決定が下されました。勝訴のあと、横浜のみなとみらいの公園のベンチに行って、海を見ながらひとり缶ビールで祝杯をあげました」
――裁判で得られたことは?
「弁護士として鍛えられました。このつらさに比べたら、どんな裁判でも大したことないと思えます。
感情が入るので、一般的には自分が当事者の裁判を自分で担当しないほうがいいと言われます。でも、感情が入ったからこそ、何百枚の書類を一気に書き上げることができました。
実は、自らの裁判と同時期、弁護士の公益活動で別の裁判も担当していました。他人に陥れられて、本人も知らないうちに海外から覚せい剤密輸に加担させられた外国人の国選弁護人になり、無罪を勝ち取りました。
この裁判でも、同じテンションで一気に書類を書きあげることができました。自分の裁判がなければ、こんなに書けなかったと思います」
――ようやく自由な時間ができましたが、これから何をしたいですか?
「何も思い浮かびません。ただ、これまではマイナスをゼロにする作業だったので、これからは世の中にプラスになることを前向きにやっていきたいですね」
この数年続いたショックから完全には回復していないようですが、東大合格、司法試験合格、テレビ朝日入社、裁判勝利と、はたから見れば、西脇さんは圧倒的に勝ち組です。新緑の季節を迎えるいま、西脇さんの人生にも新しい芽生えがありますように。
■西脇流・勝ち続けるための3カ条
(1)いい場所
いい環境に恵まれたり、集中できる場所を確保することはとても大事だと思っています。ちなみに私は、裁判書類のほとんどを、お気に入りの喫茶店で書き上げました
(2)いい健康
やっぱり体は資本です。毎日7時間は寝ようと頑張っています
(3)最後は気合い
そして最後はいつも、追い詰められて、火事場の馬鹿力で乗り切ってきました
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も
( SmartFLASH )