芸能・女子アナ芸能・女子アナ

浅田真央をリンクで支える「氷上の王子様」真央ちゃんは体幹が強くて抜群に安定/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2023.12.31 16:00 最終更新日:2023.12.31 16:00

浅田真央をリンクで支える「氷上の王子様」真央ちゃんは体幹が強くて抜群に安定/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」

日下アナ(左)と柴田嶺さん

 

 冬の代表的なスポーツといえば、スキー、スノボにアイススケートなどがありますが、なかでも観客が楽しめるのは、衣装や音楽、振り付けに趣向を凝らしたフィギュアスケートではないでしょうか?

 

 2022年9月から2023年7月まで、日本全国23カ所103公演がおこなわれた『BEYOND』というアイスショーをご存知ですか? 私は、2023年7月、アリーナ立川立飛でおこなわれた千秋楽でこのショーを拝見しましたが、あまりの素晴らしさに衝撃を受けました。

 

 

『BEYOND』は、2017年に引退された浅田真央さんを座長に、9人のスケーターたちが氷上を優雅に舞うアイスショーです。目の前、数メートル先で真央さんがくるくると3回転ジャンプを飛ぶ光景を生で見られたのは感動的でした。演出も、日本初のLEDを使った大掛かりで華やかな場面が次々と展開し、90分のショーはワクワクの連続でした。

 

 今回は、そのショーで真央さんと息のあった滑りを披露し、観客を魅了した “王子様”、柴田嶺さんにお話を伺いました。

 

 柴田さんは、北海道釧路市出身。ご両親が2人ともスピードスケートを特技としていたため、小さい頃からスケートシューズを履いていました。

 

 ところが、スピードスケートのシューズは、どうしても足首が安定せず、立ちにくいという理由で最初はアイスホッケーを選びました。しかし、アイスホッケーには、なぜか今ひとつのめりこめずにいたのです。

 

 1998年、そんな柴田さんに転機が訪れました。長野オリンピックで、フィギュアスケートの選手たちが美しく舞うさまを見たとき、ビビっと来たそうです。生まれて初めて、やってみたいスポーツを見つけたのでした。

 

――フィギュアスケートのどんなところに魅力を感じたのですか?

 

ロシアのイリーナ・スルツカヤ選手(長野五輪で5位)は、ビールマンスピンで左右どちらの足も軸にできると知って衝撃を受けました。また、イリヤ・クーリック選手(長野五輪で金メダル)の演技を見て、こんなふうに滑りたいと思いました。

 

 実際にやってみたら、ホッケーのシューズと違い、フィギュアのシューズはトゥの部分で立つことができるので、立ちやすいと感じましたね」

 

――ダンスは得意だったのですか?

 

「いえ、最初は手旗信号のようでした。ダンスの前に技を覚えることに必死でした。中学2年生から振付師の先生にお願いするようになり、少しずつ踊り心が芽生えてきました」

 

――大会に出るようになったのはいつ頃ですか?

 

「初大会は12歳の冬でした。当時、男子のスケート人口は少なく、出場したのが数人だったため、みごと1位になりました(笑)」

 

――上京したのはいつですか?

 

「18歳のとき、明治大学に入学したのと同時に上京しました。スポーツ推薦だったので、4年間ずっとインカレの大会に出場していました。海外へ、サマーキャンプや短期の練習にいった時期もあります。カナダのトロントのリンクでは、キム・ヨナ選手と一緒でした」

 

――真央ちゃんと出会ったのは?

 

「ジュニアの頃から試合では見かけていました。話をして仲よくなったのは、2005年のジュニアグランプリファイナルで、チームジャパンとして海外遠征に行ったときからです」

 

――『BEYOND』のメンバーに加わることになったきっかけは?

 

「2021年7月、もう一度、『お願いがあって』と連絡が来ました。そのときに真央ちゃんのこのショー にかける想いを聞いて、出演を決めました」

 

――柴田さんが真央ちゃんに選ばれた理由は、何だったと思いますか?

 

「ペアダンスの経験者が日本では少ないため、ペアを組める男性を探すのはなかなか難しいのですが、真央ちゃんが、ぜひペアで嶺君と一緒に滑りたいと思ってくれたみたいです。そして、実際、一緒に滑ってみたら、相性がよく、とても滑りやすかったのです」

 

――真央ちゃんから直々にオファーがあったとき、どんなお気持ちでしたか?

 

「オファーをいただいたときは、素直にすごく嬉しかったですね。人生一度きりだから、インストラクターをやめて、本当にやりたいと思っていたアイスショーにもう一度、挑戦しようと思いました。

 

 真央ちゃんのパートナーということでプレッシャーも大きかったのですが、参加するスケーターのレベルが高かったので、これは素晴らしいものができると思いました」

 

――『BEYOND』の振付はいつごろから始まったのですか?

 

「2021年9月から始まりました。『シェヘラザード』『白鳥の湖』『チャルダッシュ』『ラベンダーの咲く庭で』という曲は、真央ちゃんと2人で振り付けました。

 

 特に力を入れたのが『シェヘラザード』でした。観客が息をのむような振付にしたかったのです。衣装も露出が多く大胆でしたが、振付も大人っぽいものになりました」

 

――コロナ禍でのツアーということで、苦労もあったのではないですか?

 

「はじめのうちは声出しの応援が禁止されていたので、拍手を頼りに観客のリアクションを探りながら演じていました。ツアーの途中から声出しがOKになり、思ったとおりの反応があったので感動しました。オープニングで照明がついた途端に大きな歓声が上がり、うるっと来ることもありました」

 

――10カ月のロングラン公演を無事に終え、振り返ってみていかがでしたか?

 

「いま、人生でいちばん幸せを感じています。大きなことを成し遂げたという達成感があります。ただ、現在36歳ですが、年齢的にそんなに長くは続けられないとも思っています。体力面でも見た目でも、40歳くらいまでかな」

 

――30代でしたら、まだまだ続けられそうに思えますが?

 

「30代でも体力的にはきついですよ。氷の上では優雅に踊っていますが、楽屋に戻ると、あちこちの痛みに耐えているのです。私だけでなく、他のメンバーも痛み止めを飲んだり、注射で抑えたり。

 

 今回、私はツアー中に大ケガをすることはありませんでしたが、リフトで手首を捻ってしまったことありました。真央ちゃんとのペアができなくなると大変なので、絶対にケガはできません」

 

――バックアップのキャストはいないのですか?

 

「いないのです。真央ちゃんをリフトできる人が他にいないので。リフトは躊躇すると危険なので、信頼関係がないとできません。真央ちゃんは抜群に体幹が強く、上でまったくぶれません。軸が通っているので安定しますが、パートナーを信頼してしっかり体を預けてくれなければ、やはり支えるのは難しいですね」

 

――真央ちゃんとはプライベートでも仲よしですか?

 

「はい。お茶や食事に行ったりしますよ」

 

――来年以降の活動は?

 

「これからもプロスケーターとして新しいことにチャレンジしながら、みなさまに素敵な演技を届けたいと思っています。次のショーの予定が決まりましたら、インスタで発表しますので、応援よろしくお願いします」

 

■自分を幸せにする3カ条

 

(1)どんなことがあってもポジティブに考える
(2)人と自分を比較しない
(3)周りの人を大切にする

日下千帆

1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も

( SmartFLASH )

もっと見る

今、あなたにおすすめの記事

芸能・女子アナ一覧をもっと見る