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『たまむすび』終了から1年…赤江珠緒が語る「なんてことない愛しい日々」仕事は月3~4回、長女の幼稚園でナレーションも

芸能・女子アナ 投稿日:2024.04.13 06:00FLASH編集部

『たまむすび』終了から1年…赤江珠緒が語る「なんてことない愛しい日々」仕事は月3~4回、長女の幼稚園でナレーションも

「この1年は、これまで仕事しかしてこなかった自分へのご褒美のような時間でしたね」

 

「めちゃくちゃ新鮮で、楽しいです!」

 

 フリーアナウンサー赤江珠緒(49)に近況を聞くと、明るい笑顔でこう答えた。

 

 2007年3月末に朝日放送を退社してフリーになり、同年4月からは朝の情報番組『スーパーモーニング』(テレビ朝日系)の司会に就任した。

 

 

 そのまま後継番組である『モーニングバード』の総合司会を務め(~2015年9月)、一時は並行して『赤江珠緒たまむすび』(TBSラジオ)のパーソナリティも(2012年4月~2023年3月)――と16年にわたり、赤江は休むことなく帯番組を担当してきた。

 

 ラジオが終了してから約1年。毎日のように、その姿や声を日本中に届けてきた赤江が、いまは月に3~4回程度にまで、仕事を絞っているという。

 

 帯番組からその姿が消えたことで、SNSには「たまむすびロス」「赤江珠緒ロス」というワードの投稿も多い。いま、どんな日々を送っているのか。赤江がインタビューの場に選んだ“縁側のある場所”で聞いた。

 

「こういう縁側のある古民家に住みたいなって憧れます。アナウンサーになって、特にこの20年間は、仕事しかしてきませんでした。だから、今日は縁側でのんびりしたいなと思って、リクエストさせていただきました(笑)」

 

 庭を間近に見ながら、気持ちよさそうに大きく息を吸い込んだ。

 

「帯番組を担当していると、祝日という感覚がないんです。『ゴールデンウイークとは何でしょう』みたいな(笑)。仕事のために朝起きて、オンエアの瞬間瞬間を生きているような感じでした。連日、いかに体調を崩さずに生放送の現場に行くかを考え、すべてを逆算して動いてしまっていましたね」

 

 常に時間に追われている感覚だったが、つらいと思ったことはないという。

 

「好きな仕事のことだけを考えて暮らせたのは、それはそれで幸せだったと思います。働くことが生き甲斐でもあったし、以前はできなかったことをできるようになったというような発見が、仕事をよりおもしろくしてくれていました。常に走っている感じが、好きでもあったんです」

 

 しかし、そのために犠牲にしてきたことも多かった。

 

「免疫力がすごく下がっていて、こじらせてしまった上咽頭炎を治療する時間もありませんでした。長女と過ごす時間を増やしたいという思いもあり、去年の3月でひと息ついてみることにしたんです」

 

 仕事を意識的に断ち、喉をしっかり治療したことで、薬に頼らず済むようになった。人間ドックに行き、体調を整えた。全力で走り続けてきた速度を緩めてみたら、それまで知らなかった世界が広がっていた。

 

「長女の幼稚園生活最後の1年だったので、その時間を満喫したくて。謝恩会では私は“お楽しみ係”で、日本武道館イベント(2022年に開催した『たまむすび in 武道館』)をすっごく小規模にした感じで、大道具や小道具をママさんたちと作ったんです。子供たちに人気の絵本をパロディした脚本を書いて、ナレーションもつけました。これまでは、仕事で園のイベントに行けないことが多かったんですが、この1年はがっつり参加しました(笑)」

 

 長い1年でした、と笑う。

 

「もっとこの1年間を味わいたかった、という意味では一瞬だったんですが、これまでの目まぐるしい毎日とはぜんぜん違う感覚です。四季をゆっくり味わい、たっぷり暮らしている感じです。『そら豆が出てきたね』なんて、季節を感じながら長女とスーパーでゆっくり買い物をするたわいもない時間がありがたくて。なんだろう……。この1年は、これまで仕事しかしてこなかった自分へのご褒美のような時間でしたね」

 

 YouTubeの動画を観ながら、長女の髪の編み込みに挑戦してみたり、料理を楽しんでみたり。

 

「唐揚げとかおでんとか、屋台みたいな料理が得意です(笑)。唐揚げは梅としそを肉にもみ込んで、にんにくと生姜をガバッと入れて、3時間くらい漬け込みます。家に遊びに来た友人は『専門店にも負けないくらい美味しい』と言ってくれるので、毎回懲りずに出しています」

 

 心にも時間にも余裕ができたことで、今後の仕事についても思いを巡らせた。

 

「今までは、たとえばメニューにハンバーグとエビフライがあったら、ハンバーグばかりを食べてきました。でもエビフライの美味しさもわかってきたんです。両方食べるのもありだし、どちらかを極めるのもあり。自分の状況、人生に合ったものを、その時どきに食べられたらいいなって思います」

 

 赤江にとっての“ハンバーグ”が仕事だとしたら、これから食べたい“エビフライ”は何なのだろう。

 

「エビフライは、育児です! 私は高齢出産で、体力にも自信がなくなっていました。たとえれば、胃が小さくなって、エビフライ定食なんて……と、手が出ないような感じ。でも、今はハンバーグを減らしたことで、エビフライだって食べられるようになったんです」

 

 もちろん、またハンバーグが食べたくなる日もくるかもしれない。

 

「そうそう、料理を選ぶように、かまえることなく、さりげなく仕事と育児のバランスを取って生きていこうと思ったんです」

 

 赤江は2025年に50歳になる。どんな50代を過ごしたいと考えているのだろう。

 

「プロセスをちゃんと楽しめる人になりたい、というのが目標ですね。40代までは仕事にゴールを決めることで、ゲーム的な達成感や、早くそこに辿り着きたいという思いが強かったと思います。せっかちになって、道中をあまり楽しめてこなかったんですね。でも今は、子供の歩くペースに自分も合わせてみたら、なんてことない道中がすごく愛しい日々に感じるんです」

 

 赤江は庭に降り、大きく伸びをした。

 

写真・木村哲夫 ヘアメイク・富田実希 取材協力・東京ゲストハウスtoco.

( 週刊FLASH 2024年4月23日号 )

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