芸能・女子アナ
宮川大輔が語る『人志松本のすべらない話』誕生秘話
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2017.12.11 11:00 最終更新日:2017.12.11 11:00
1991年、東京のレギュラー番組『吉本印天然素材』(日本テレビ系)への出演が決まり、順風満帆な芸人生活をスタートした宮川大輔(45)。
だが、もともと役者志望だった宮川は、28歳のとき、お笑いから離れることを決意。宮本亜門の舞台『BOYS TIME』、今井雅之演出の『THE WINDS OF GOD』に出演した。
「先のスケジュールが埋まっていくのでバイトは辞めたけど、『役者はこんなに食べていかれへんのか』と。またお金のない生活に戻ってしもた。役者といっても、まだ演技を教えてくださいっていうレベルやったし。
野田秀樹さんの舞台『贋作・桜の森の満開の下』に出たときは、深津絵里さん、堤真一さん、古田新太さんとか、錚々たるメンバーで、エグい世界やなと。引き出しも多くて、役者としてよっぽどの武器がないとあかんと。自分の居場所がわからんようになってました」
「31歳のとき、今田(耕司)さんに、『松本(人志)さんと沖縄に行くから来いや』って誘われたんです。それまで松本さんとは接点がなくて、『天素』のメンバーをよく思っていないという話を聞いてたので、1日めはひと言もしゃべられへんかった。
夜、スーパーに買い出しに行ってホテルに戻ったら、エレベーターで居合わせたおばちゃんが気分悪くならはって。部屋まで送ってたりしたら、戻るのに時間がかかってしまって。
『大輔、遅かったな』って言われて、怒られると思ったんで、ちゃんと言い訳しようと。おばちゃんが白目剝いて倒れそうになって、って必死になってしゃべったら、兄さん(松本人志)がめっちゃ笑ってくれたんです。
それからご飯に誘ってもらえるようになって、『兄さん、聞いてください。僕、小学校のときにね』って話すようになった。『大輔、おもろいな。これが形になったらええな』って」
本当にあった話を独特の話芸で語り合うトークバラエティ番組『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)は、こうして生まれた。
「『すべらない話』に出演が決まってから、自宅でずーっと練習してたんです。お風呂に入ってても『僕、小学校1年生のときにね……』って。嫁に聞かせるわけじゃなく、『この話おもろい?』って聞くわけでもなく。ただ、何度も練習してて。
で、収録の日の朝、玄関を出ようとしたら、嫁が上半身裸にパンツ一枚で、『フレー! フレー! 大ちゃん!』ってやってくれて。それを見て緊張がほぐれて、『よし! やってやろう!』って思いましたね」
宮川の『すべらない話』では、たびたび、家族のネタが披露される。
「昔、お父さんに『あの話をしてもええ?』って聞いたら、『そんなことに気を遣うな。お父さん、お母さんはどう思われてもええ。お前がおもろいと思っているものはどんどん言えばええ。それがお前のすべらない話やから』って。マジかと(笑)。よっしゃ、言っていこうと思った。だから、これからもヘンな話をしていきます」
みやがわだいすけ
45歳 1972年9月16日生まれ 京都府出身 1990年、NSC大阪校に入学(9期生)。映画『パッチギ!LOVE&PEACE』『賽ノ目坂』『さらば愛しの大統領』、ドラマ『シバトラ~童顔刑事・柴田竹虎~』『チーム・バチスタの栄光』『銭ゲバ』などに出演。映画『役者泥棒』公開中
(週刊FLASH 2017年11月28日号)