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元日テレ・宮崎宣子さん“おバカアナ”からハーブ会社社長に「息子が寝ているときが仕事のチャンス」大学院でも勉強の日々

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2024.07.26 06:00 最終更新日:2024.07.26 06:00

元日テレ・宮崎宣子さん“おバカアナ”からハーブ会社社長に「息子が寝ているときが仕事のチャンス」大学院でも勉強の日々

「ビジネスっておもしろいんですよ」と宮崎宣子さん

 

女子アナ黄金期」といわれた1990~2000年代に注目を集めながら、“消費”されることに抗った人気アナウンサーたち。新たな場所でも全力疾走し、キラリと輝いていた!

 

 2002年、日本テレビに入社。情報・バラエティ番組『ラジかるッ』などで、華やかな雰囲気と、“おバカキャラ”で人気だった。

 

「『おバカアナウンサー』になったのは、たまたまなんです。番組のクイズコーナーに出ているとき、スタッフさんから『不正解のときの解答がつまらない』と言われたんです。それまでは、白紙で出したりしていました。『わからないときは、何でもいいから振り切って書け』と言われ、それで、振り切って答えたら、やりすぎたというか。あれで私の日テレアナウンサー時代が短くなったような(笑)」

 

 

 本人は、女子アナとして“ブレイクした”とは思っていなかったという。

 

「いまはバラエティに出ているけれど、ゆくゆくは報道番組を担当するもので、できればずっと日テレにいたいと思っていました。しかし、求められたことに200%で応えようと必死に仕事をこなしていたら、体調を崩しちゃったんです。寝てるときも歯を食いしばっていて、顎関節症が悪化してしまい、睡眠もほとんど取れていませんでした」

 

 朝の番組以外にもレギュラーを持ち、深夜番組、特番、ドラマまで担当していた。

 

「当時は飲み会も多くて、番組の打ち上げもしょっちゅうでした。朝の『ラジかるッ』の場合は、朝の4時、5時まで打ち上げやって、『じゃあ、2時間後ね』みたいな感じもありました(笑)。家にいったん帰って、1時間寝て、出社していました。まだ20代だったからできたようなものですね。当時はそれが本当に楽しかったですね(笑)」

 

 顎関節症の治療のため、番組を降板することになった宮崎さんは、勤め続けようと思っていた日テレを退職することを考え始める。

 

「いざ休養してみると、『日テレに入ったらこれをやりたい』と考えていたことを、全部クリアさせてもらっていたことに気づいたんです。そして30代、40代でどういうアナウンサーになりたいかって考えたら、ぜんぜん見えなかったんですよね。もやもやしながら復帰して、担当することになった早朝番組で、今度は自律神経を崩してしまったんです。これは厳しいな、これからどうしようと思いながら、辞める決心もつかない状態でした」

 

 そんなとき、東日本大震災が起きた。

 

「復帰して、5日めでした。世の中がガラッと変わり、バラエティが休止になって、全アナウンサーが中継に駆り出されるなか、ずっと電話番をしながら、非常時に局から必要とされていない現実に直面しました。いろいろと考えさせられるきっかけでもありました」

 

 日テレを退職後、宮崎さんはフリーアナウンサーとして活動を開始する。

 

「他局の番組に、演者として出ることはたしかにチャレンジでした。なのに、日テレに入ったばかりのような必死さが出ないというか……自分を追い込めないんですよね。仕事をいただけることはありがたいけれど、楽しいだけで自分が成長できないって、あせっちゃったんです。やっぱり、私は『楽しい』にプラスして、がんばってないと平常心を保てないんだ、と思いました」

 

 そこで思い出したのが、自律神経が不調だったころに助けとなったハーブだった。

 

「まずは資格を取ろうかなと、勉強を始めたんです。ハーバルセラピストの資格は、けっこう難しいんですよ。2カ月間、1日7時間、勉強しました。薬効や成分、免疫系や血液、ホルモンへどう作用するかなど、医学的なこともいろいろ覚える必要がありました。37歳で資格を取り、故郷の宮崎にハーブ園を作って、3年ほど研究を重ねました」

 

 そして2018年。宮崎さんはオーガニックハーブのボディソープなどを開発・販売する「EMARA」を設立し、代表を務めている。

 

会社としては、いま6年めです。ひとりでやっているものですから、子どもが寝ているときが仕事のチャンスなんですよ。夫は子育てにすごく協力してくれて、ありがたいですね。今日も、自宅で子どもの面倒を見てくれています。仕事で海外に行って、数日は帰ってこないときもあるので、そのときはたいへんです」

 

 宮崎さんは2023年10月、10歳下の夫との間に第1子を授かったばかり。

 

「夫は、知り合ったときは、なんとも思わなかったんですけど……。最初の結婚生活が終わったとき(2014年に離婚)、もう結婚は二度としないと思ってましたし、ひとりはなんて楽なんだ! って思ってたんです。それがねえ……人生どうなるかわからないですよね」

 

 独身生活を謳歌していたはずなのに、いつの間にか再婚への道を突き進んでしまった宮崎さん。40歳を超えて再婚したときは、出産についても考えていなかったという。

 

「私の母は、24歳で私を産んでいて、41歳で私を大学進学に東京へ送り出してくれました。母なら子育てが終わる時期なのに、これから出産することは想像もできませんでした。それでも、彼と話し合って、不妊治療をしてみることになったんです。やってみてダメだったら、自分たちも納得できるしねって。実際にやってみるとたいへんでしたが、私は年齢上、終わりが見えていたというか。途中で『もうこれ以上続けても難しい」と先生からも言われましたし」

 

 だが、不妊治療の結果、宮崎さんは43歳で息子を授かることになる。

 

「それまでは大人がいる店、大人がいる遊び、大人がいる空間でしか活動してなかったので(笑)、正直、自分が母親になるなんて、考えたこともありませんでした。子どもは、とにかくむちゃくちゃかわいいです」

 

 20代のときと違って「いまは子育てで眠れません」と笑う宮崎さんだが、母校・早稲田大学のビジネススクールで学ぶ大学院生でもある。

 

「自分の会社を作ったことで、経営を学ぶために入学しました。経営学からマーケティング、財務会計や経営戦略的なものを学んだうえで、それを生かしていきたいなと思っています。新しく勉強していると、別の目標も出てきちゃって……新しい会社を作れないかと思っているんです。ビジネスっておもしろいんですよ。宮崎、また何かやってるよ、とか、みなさんに言われちゃいそうですけど(笑)」

 

 局アナ時代と変わらないチャレンジ精神を見せる宮崎さんだが、すっかり経営者の顔になっていた。

 

みやざきのぶこ
1979年生まれ 宮崎県出身 早稲田大学卒業後、2002年に日本テレビ入社。2012年に退社し、2018年にオーガニックハーブのボディソープなどを開発・販売する「EMARA」を設立

 

写真・久保貴弘 ヘアメイク・髙良まどか

( 週刊FLASH 2024年8月6日号 )

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