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ビートたけしの跡目争いで伊集院光と古田新太の戦い勃発の過去

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2018.01.04 06:00 最終更新日:2018.01.04 06:00

ビートたけしの跡目争いで伊集院光と古田新太の戦い勃発の過去

 

 12月25日放送の『伊集院光 深夜の馬鹿力』(TBSラジオ系)にて、お笑い芸人の伊集院光が、かつて伝説的なラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』の後番組を担当する可能性があったと明かしていた。

 

「たけしさんが(1990年いっぱいで)オールナイトニッポンをやめるってことになって、『たけしさんの後釜、木曜日の夜1時の跡目は誰が継ぐ?』って話になったときの、最終オーデションが、おれと古田新太さんだったの」

 

 なぜ、たけしの後釜候補が、当時無名の新人だったのだろうか?

 

「ニッポン放送の方針としては、『ビートたけしのオールナイトニッポン』の後に、すごい名前のあるタレントを使っても、ビートたけしと比べられて誰も得しないから。

 

 だったら、あんまり有名じゃないところからとりあえずいったんそこに使おう、と。当たればめっけもんで使おうってときに、すでにオールナイトの二部でちょっと結果を出してた伊集院光。当時、事務所なしっていう(笑)」

 

 伊集院と古田で、たけしの跡目争いが勃発。

 

「ニッポン放送の中でも、おれを推す人と、古田新太を推す人がいて。もっと言うと、おれはそのときに、オールナイトの二部をやってて、そこそこ数字を出してたから。

 

 伊集院光でいこうかっていう派閥と、その派閥のトップだったディレクター・プロデューサーがキライって派閥がいるわけ。そうすると、今度これは関西の劇団でグングンのしてきてる古田新太っていうのがいる、しゃべりは相当面白い、と」

 

 結局、1991年に『古田新太のオールナイトニッポン』が始まったというわけだ。

 

「伊集院光は少なくともそこまでオールナイトを2年二部をやってるんだから、『ある意味、新鮮味ないじゃん』ってことで、ここが一騎打ちになって御存知のとおり負けていくっていう(笑)」

 

 しかし、伊集院も1995年にTBSラジオで『深夜の馬鹿力』を開始。現在に至るまで、人気長寿番組となっている。『古田新太のオールナイトニッポン』が2年もたずに終了したことを考えると、どちらがよかったと言い切るのは難しいだろう。

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