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出川哲朗を育てた実家「海苔問屋」をめぐる父と母の物語

芸能・女子アナ 投稿日:2018.01.13 11:00FLASH編集部

出川哲朗を育てた実家「海苔問屋」をめぐる父と母の物語

 

 お笑い芸人の出川哲朗が、1月5日放送の『A-Studio』(TBS系)に出演し、実家である海苔問屋について語っていた。

 

 番組では勤続63年の従業員に取材。司会の笑福亭鶴瓶は「(従業員の)杉山さんが言うにはね、『小ちゃかったんだよ~お母さんが心配するくらい。リュックをかけてあげたらひっくり返っちゃったくらい』と笑てんねやけど」と出川の幼少期のエピソードを紹介していた。

 

 これを受けて「(杉山さんは)僕が本当に小さいときに近くにいてくれたかた。(昔は)住み込みでいろんな人がいた」と振り返る。

 

 ここで鶴瓶が「ここの会社1回潰れたんやろう?」と質問すると、出川は「潰れたというか、潰れかかりましたね。親父が社長だったんですけど、あちこちに愛人作って家に帰って来ず。それで相場に手を出して借金を負っちゃって、会社がまずくなって。僕が高校生のときです」と明かしていた。

 

 2012年12月10日放送の『ファミリーヒストリー』(NHK)では、そんな出川家の歴史について取り上げている。

 

 曽祖父にあたる出川金蔵氏が、横浜・伊勢佐木町に「蔦金商店」を創業したのは1894年。出川家はもともと有力な地主だったという。

 

 金蔵が亡くなったのち、出川の祖父にあたる政雄氏が店を引き継ぐ。1945年の横浜大空襲で店が焼失するも、残ったわずかのお金を元手に闇市で雑貨店を開き、こつこつ資金を貯めた。そして、3年後に海苔問屋を再開した。 

 

 経営が怪しくなるのは、店を手伝うようになった出川の父・誠一郎氏が、結核を患ってから。療養所仲間を寿司屋に連れていくなど散財が続く。

 

 このエピソードを知った出川は「とにかくもういい格好しいなんで。外面がよかったんで。もうそのころからだったのかって感じです。勝手にみんなを連れてってお寿司をごちそうするなんて」と感想を漏らしている。

 

 父の死で、28歳で店を任された誠一郎氏。海苔の養殖の成功などで会社は拡大。1970年代にはサイドビジネスに手を出し始め、結婚式の引き出物、ドイツ製ストッキングの輸入、クラブ経営などを手がけた。

 

 このころから交友が派手になり、経営は人任せ。出川の母である泰子さんが店を切り盛りしたという。出川は幼かったころの父の印象を「たまにしかしゃべれない。親父が帰ってきたというよりも、親戚のおじさんが帰って来たみたいな感じ」と振り返る。

 

 その後、小豆の先物取引に手を出したことをきっかけに経営が悪化。1981年には倒産寸前にまで陥ったが、誠一郎氏の社長退任を条件に銀行から融資を受け、なんとか持ちこたえた。これを機に父は家に帰って来なくなったという。

 

 それから数年後、最悪の状況を脱した時期に、糖尿病を理由に妻の元へ帰って来た誠一郎氏。周囲の大反対にも関わらず、泰子さんは受け入れた。5年後、誠一郎氏は58歳で亡くなったが、葬儀には1000人以上の参列者が来たという。

 

 出川の姉である峰子さんは「最後のお葬式っていうところで、父の生き方をかいま見たんじゃないかな。母親は、最後に父のことは許していました」と振り返る。

 

 ちなみに泰子さんは、2011年に76歳で亡くなった。出川は葬儀で「男にとって母親は特別な存在。元気なうちにもっと親孝行できればよかった」と語っている。

 

 バラエティ番組で日々活躍し、最近ではCMにも引っ張りだこの出川。その裏に、実家の知られざるドラマがあったのだ。

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