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ついにNHK退社「有働由美子アナ」弁護士を目指していた過去

芸能・女子アナ 投稿日:2018.04.04 06:00FLASH編集部

ついにNHK退社「有働由美子アナ」弁護士を目指していた過去

 

 27年間勤めたNHKを3月31日付で退社していた有働由美子アナウンサー(49)。前日には8年間メインキャスターを務めた「あさイチ」を卒業したばかりだった。

 

 大阪屈指の進学校である北野高校(1学年下に橋下徹・元大阪府知事とNHKの藤井彩子アナがいる)では剣道部に所属。同級生は、かつて本誌の取材に「礼儀正しく、質実剛健なイメージでしたね」と当時の印象を語っている。

 

 卒業後は神戸女学院大学文学部総合文化学科に進学。じつは弁護士を目指していた彼女の第一志望は国立大学法学部だった。しかし不合格。「浪人すると女は嫁に行きづらくなる」という父親の厳命で、同大学に入学したという経緯がある。

 

 1991年にNHK入局。本人の希望は記者職だったが配属先はアナウンス室。初赴任地は地元・大阪だった。テレビだけでなく、ラジオ番組にも出演して天性の明るさから「大阪のオバチャンたちに人気があった」と同僚職員。

 

 1994年に東京へ異動。『おはよう日本』のキャスターに大抜擢され知名度は全国区になった。そして1997年には『サタデースポーツ』『サンデースポーツ』の担当になり、2001年から3年連続で『紅白歌合戦』の紅組司会を任された。

 

 NHKでは、有働アナに関するさまざまな伝説がある。

 

【伝説】オヤジ関西弁丸出しも、学生時代は「お嬢様」だった

 

 鹿児島生まれの大阪育ち。プライベートでは「そりゃ、アカンやろ~」とオヤジ関西弁丸出しだが、学生時代は「お嬢様」だった。薩摩隼人の父親は超頑固。晩酌でビールをつぎ忘れ、コップがカラになると怒り出すというお人柄ゆえ、恋愛なんぞは御法度。大学時代も門限は夜8時30分! 父親に内緒の合コンは、盛り上がりが最高潮に達したところで「失礼します」というパターンばかりだったとか。

 

【伝説】五輪の取材中、ベッドいっぱいにバラの花束が

 

 2002年のソルトレイク五輪取材で「通訳兼スタッフのアメリカ人学生が有働さんを好きになってしまった」とNHK関係者。最後の日は、有働アナのベッドを埋め尽くすほどのバラが贈られたという。
「五輪後、有働さんはイチロー選手の取材でシアトルに向かったんですが、その学生が『ワタシがシアトルまで送りマス』と車を運転しそうな勢いでした」(NHK関係者)。罪作りな「モテ期」であった。

 

【伝説】新人のとき「将来は会長を目指します」と宣言

 

 1991年にNHKに入局したとき、新人の自己紹介で「将来のNHK会長を目指します!」と高らかに宣言。
「当時は『元気な女のコが入ってきたぞ』と話題になりました。「明るくて付き合いもいいし、女性を感じさせないから、オジサン連中のウケもいいんです。男女問わず敵がいないのも強み」とは前出・NHK記者の弁だ。

 

【伝説】「缶ビール、缶ビール」と連呼。本番前にも生ビール

 

 酒豪ぶりはつとに有名だ。とあるインタビューで、「ビールとワインを2杯くらい飲んだあと、バーボンを丸々1本飲みました」と答えている。
「夜10時のニュースを担当していたとき、晩飯で生ビールをグイッとやってましたね。また出張に行くと、『缶ビール、缶ビールないの?』と周囲によく尋ねてますね。だからか、出張先での夜は決まって酒盛りになります」とNHK職員。

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