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結婚を選ばなかった「有働由美子」亡き母への愛憎49年

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2018.04.14 06:00 最終更新日:2018.04.14 06:00

結婚を選ばなかった「有働由美子」亡き母への愛憎49年

 

 帰宅した有働由美子アナ(49)の手には、花束が抱えられていた。どこかで、退局を祝われてきたのだろう。3月31日付で、27年間務めたNHKを退局していたことを、明かしたばかりだ。

 

『あさイチ』を卒業、勤めも辞めて時間ができた。静岡県に住む内野聖陽似の会社社長・Aさん(43)といよいよ結婚するのでは、という声もあるが、有働アナの知人は否定する。

 

「有働アナの誕生日である3月22日に結婚する、という噂が流れていたが、しなかった。それどころか、結婚するつもりはないと、彼女は親しい人に話している」

 

 それには、理由があった。

 

 かつて、有働アナはインタビューでこう話している。

 

《母は、ひたすら忍耐の人。なぜ離婚しないのかと思うぐらい。我慢強くて、昔の女性ですよね。何もかものみ込んで、家族の幸せが一番の幸せ、という感じで。ずっと母のような生き方はしたくないな、と思ってましたね》(「女性自身」2010年3月30日・4月6日合併号)

 

 有働アナは鹿児島県生まれ。中学教師の父と、専業主婦の母の間に生まれた。

 

 その後会社を起こした父は、昔ながらの亭主関白な男。夕飯のとき、母親は父親と一緒に食卓につくことを許されず、父にビールを注ぐのは有働アナの役目だった。有働アナ自身も大学受験のとき、父に浪人を禁止され、進みたい学部をあきらめた。

 

 成人した有働アナは、恋多き人生を歩んだ。プロ野球選手、慶應大卒の広告代理店マン、東大卒の公認会計士、さらに2007年のアメリカ勤務時代には、現地在住の日本人男性と恋に落ちた。

 

 結婚のチャンスは何度かあった。だが、母の姿を思い出すと、タイミングを逃してきた。その母が病との闘いに敗れ、67歳で亡くなったのは、2011年の夏だった。

 

「有働アナは乳ガンに倒れたお母さんを東京の病院に転院させ、2カ月間、『あさイチ』を終わらせると看病に駆けつけた。余命半年の宣告を受け、大阪に帰した3週間後、お母さんは天国に旅立った」(NHK関係者)

 

 母を愛しているからこそ、母ができなかった、やりたいことを気兼ねせずにやる生き方を、有働アナは選んできた。

 

 4月6日夜、記者は大阪に住む有働アナの父を訪ねた。

 

「結婚? ない! ……と思うよ。娘からは、何も聞いていない。さすがに結婚するんやったら、連絡があるやろうし。私の言いたいのは好きなことをやんなさい、ということ。もう50歳になるんですから」

 

 ようやく娘に「好きなことをやりなさい」と言えるようになった父の許しを得て、有働アナは4月5日、退局後最初の仕事のために、ヨーロッパへ旅立った。

 

(週刊FLASH 2018年4月24日号)

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