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ダイアモンド ユカイ「男性不妊治療」三重苦の経験を語る

芸能・女子アナ 投稿日:2018.04.26 20:00FLASH編集部

ダイアモンド ユカイ「男性不妊治療」三重苦の経験を語る

 

「あなたの精子はゼロです」
 医師からそう宣告されたときのショックが、いまもダイアモンド ユカイさんの頭をよぎる。

 

「もう頭が真っ白。まさか、この俺がって。だってなんの自覚症状もないんだから。EDでもない。そっちはバリバリ。過去に女性から『子供が出来た』と2度も告げられたけど、あれはなんだったんだと……。男を売りにしてきたのに男を否定された思いでしたよ」

 

 そのとき40代半ばで、妻は30代半ばになろうとしていた。2度めの結婚では「ファミリー」を持ちたかった。妻に付き添って近所の産婦人科のクリニックに行くと、検査の結果、妻は健康体の診断。

 

 成り行きで自分も検査を。過去の女性経験から「悪い病気でも出たら怖いな」という不謹慎な気持ちもあった。AVや雑誌が置かれた検査室で自ら精液を採り、検査を受けると、その結果が「精子ゼロ」だった。

 

「その日は会話もなく、翌日俺のほうから妻に別れ話を切り出した。そしたら妻が『ユカイさんを子供だと思って一緒に生きていきましょう』と言ってくれた。けれど、そのときの俺は素直に妻の温かい言葉を受け取れず、俺の気もわからないで……という気持ちが大きかった」

 

 その後、ネットで調べると、どうやら無精子症らしいとわかった。病院で詳しい検査を受けると、睾丸で精子は作られていても、精管に問題があって精子が出てこない「閉塞性無精子症」の可能性があるとの診断。

 

 その原因のひとつに、鼠径ヘルニア(脱腸)の手術との関係があると知った。そういえば、自分も子供のころ、鼠径ヘルニアの手術を受けていた。

 

 精子がいることを証明するには、睾丸にメスを入れ、精巣から組織を取り出して精子を探し出す検査が必要だった。

 

「そりゃあ、怖かった。痛いのイヤだし、注射も嫌いだしね。でも挑戦しましたよ。局部麻酔をかけて20分ぐらいで終わったけど、2時間にも感じました。でも、精子がいたのはわかった。ものすごい数の精子がウヨウヨ動いていましたよ」

 

 そして不妊治療が始まった。取り出した精子と卵子を顕微鏡の上で受精させ、子宮内に戻す顕微授精だ。

 

「いま思えば、妻の負担のほうが大変だった。排卵誘発剤の注射をしたり、卵子を採取したり、受精胚を子宮に戻す処置もしなければならないから、心身のストレスは相当だったと思うよ」

 

 だが2度にわたる顕微授精は失敗。不妊治療をやめようと一度は決意する。

 

「2度めも失敗して妻との間もぎくしゃくしていた。1年以上の不妊治療が10年にも感じて『人生が不妊治療』状態。精神的、肉体的負担、それに金銭的負担も加えた三重苦だよ。結局、もうあきらめようと、夫婦2人で生きていく道を探した。温泉行ったり旅行行ったりしてね」

 

 そんなある日、妻がこう言ってきた。

 

「40歳になる前に、最後にもう一度チャレンジさせてください」

 

 もう期待はしていなかったが、どうせ行くならと、男性不妊治療の権威といわれる北九州のクリニックを訪ねた。

 

「先生は俺の “ゴールデンボール” を握ると『絶対大丈夫だ!』と太鼓判を押してくれた。その言葉どおり、今度はうまくいったんです」

 

 妻は妊娠中毒症に苦しみもしたが、2010年2月、長女の新菜(ニーナ)ちゃんを無事出産。続いて2011年11月には双子の頼音(ライオン)くん、匠音(ショーン)くんも授かった。不妊治療を乗り越えたユカイさんがいま振り返る。

 

「子供のウンチが出ないといっては病院に連れてったり。もうロックもへったくれもないね(笑)。ナルシストでエゴイストの俺が、自分のためじゃなくて人のためにこんなに動くなんてね。子供は本当に成長させてくれますよ」

 

ダイアモンド ユカイ
1962年生まれ 東京都出身 

1986年「RED WARRIORS」ボーカルとしてデビュー。音楽活動を中心に俳優、タレントとしても活躍するなど多才

 

(週刊FLASH 2018年4月10日号)

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