芸能・女子アナ
日テレ「阿部哲子アナ」の失敗談「画面につむじしか映らず…」
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2018.07.29 16:00 最終更新日:2018.07.29 16:00
アナウンサーの番組初出演を指す業界用語「初鳴き」。2018年も研修を終えた新人アナたちのデビューが近づいてきた。そこで、人気アナたちに、当時の失敗談や初々しいエピソードを語ってもらった!
「日テレのアナ研修が厳しかった最後の時代といわれていますね。鍛えられましたよ」と振り返る阿部哲子アナ(39)。初鳴きは、2001年6月、『日テレNEWS24』だった。
「ニュースを24時間放送する専門チャンネルで、新人は、比較的視聴率が低い夕方などに出演します。『アナウンサーは原稿を読むのではなく、(内容を)伝えることが仕事』と教えられましたが、ほとんど下を向いて原稿を読んでしまい、録画を見るとつむじしか映っていませんでした(笑)」
挨拶しただけでアクセントを直されるような毎日。自分のできなさ加減に落ち込んだ。
「アナウンス室に入るのが怖くて、ドアの暗証番号を押せなくなったこともありました。先輩にそのことを話し、皆さんが経験していたことだと知りました」
現在は『バラいろダンディ』(TOKYO MX1)で天然キャラを炸裂させている阿部アナだが、新人時代は「言葉が出てこなくなるような毎日」(本人談)だったという。
そんな新人・阿部アナを救ったのは、2007年に43歳で亡くなった大杉君枝さんの言葉だった。
「あるロケの集合場所が、歌舞伎町だったんです。大杉先輩が『阿部を一人で新宿の雑踏で待たせるの? 誰か一緒にいたほうがよくない?』と口添えしてくれたんです。研修ではとても厳しかったのですが、そっと母のように見守ってくれていることを知り、胸が熱くなりました」
同期は西尾由佳理アナ(現在フリー)と杉上佐智枝アナ。
「当時はアイドルアナ全盛時代でしたが、それが苦手な3人でした(笑)。西尾さんはそう見られがちでしたが、3人のなかでいちばん嫌だったはず。私と杉上さんは『かわいそうだねえ〜』と楽しんでいました。
3人ともスポーツ番組を担当しながら、誰もアスリートと結婚しなかったのは、局として意外だったかもしれません(笑)」
あべあきこ
千葉県出身 横浜国立大学卒業後 2001年から2007年まで日本テレビに在籍。現在はフリー。『バラいろダンディ』(TOKYO MX1)などに出演
(週刊FLASH 2018年7月3日号)