芸能・女子アナ
萩原健一さん、本誌記者に「ドロボー」呼ばわりの無頼
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2019.03.29 00:46 最終更新日:2019.03.29 00:46
「ショーケン」の愛称で親しまれてきた、俳優の萩原健一さんが、3月26日、消化管間質腫瘍のため、都内の病院で亡くなった。68歳だった。
1967年に「ザ・テンプターズ」のボーカルとしてデビューし、『神様お願い!』『エメラルドの伝説』などのヒット曲を出し、音楽界に大きな影響を与えた。グループ解散後は沢田研二さんらとロックバンド「PYG」を結成するなど、日本のロック界に貢献してきた。
1970年代からはドラマ『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』などに出演。黒澤明監督の映画『影武者』に出演するなど、俳優としても大きな活躍を見せてきた。
所属事務所のオスカープロモーションによると、萩原さんは病名の公表を控え、2011年から長らく闘病していたという。
妻の萩原理加さんは、「最期は、とても穏やかで安らかに、ゆっくりゆっくり、眠る様に息をひきとりました。今はまだ、心の整理がついておりませんので、皆様、どうかご理解頂けると幸いと存じます」とコメントを発表した。
無頼派で知られる萩原さんだけあって、逮捕歴も数多くあった。2005年には主演映画『透光の樹』を途中降板しながら出演料を詐取しようとして逮捕。そのとき取材した本誌記者は、判決を待つ萩原さんから泥棒呼ばわりされたこともある。
「みなさ~ん、ドロボーでーす。捕まえてくださーい」と近所じゅうに響き渡る声で叫び続け、記者の腕をつかみ「ついてこい!」と言いながら交番へ。交番へ着くまでの10分間、「いま、ドロボーを連れていまーす」と連呼された。
昭和を代表する名役者だった萩原さん。平成が終わる直前の、惜しまれる死となった。