芸能・女子アナ
南美希子、局アナ時代は薄給「川中美幸」も驚く給与明細
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2019.05.24 06:58 最終更新日:2019.05.24 06:58
「私が入社したころは、女子アナウンサーが前面に出ることなどなかった時代。割り当てられる仕事といえば天気予報を読むか、男性アナウンサーの横で頷くだけのアシスタント。
顔と名前の一致するアナウンサーも、ほぼいませんでした。そう考えると、今の女子アナ業界はそうとう様変わりしましたよね」
1980年のモスクワ五輪の独占放送権をテレビ朝日が取得したこともあり、アナウンサー9人が採用された1977年に入社した、南美希子さん(63)。同期入社には、古館伊知郎がいる。
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山城新伍が司会の音楽バラエティ『笑アップ歌謡大作戦』を担当するなど、南さんは局アナとしてバラエティ番組に出た「先駆け」といわれている。
「そのころのテレビ業界は『三強一弱一番外地』と揶揄されていて。三強が日テレ、TBS、フジ。一弱がテレ朝で、番外地がテレ東さんと言われていました。
弱小のテレ朝だからこそ、思いきったことができ、バラエティに女子アナが出るなんて考えられなかった時代に、私もチャンスをいただけたんだと思います」
しかし、女子アナの地位は低く、苦労も多かった。
「給料も驚くほど安かったですよ。歌番組で仲よくなった川中美幸さんが私の給与明細を見て、『みきこちゃん、これ日当?』って、驚いていましたから(苦笑)。14万円ぐらいだったかな。
今でこそ女子アナにもスタイリストがつきますけど、私のころは衣装も全部自前。洋服代だけで、お給料が飛んでました」
男尊女卑も当たり前。
「まだ『セクハラ』『パワハラ』なんて言葉もなかったし、仕事場でお尻をさわられるなんて、珍しくなかった。早朝の番組出演があっても、有無を言わせず朝方まで飲みに連れ回されて、そのまま局に駆けつけたことも。
さすがにお酒が残っていて、全部吐いた後、番組では爽やかな顔で『おはようございます』って。それを思うと、今のコたちは温室育ちだなって思います」
タレント化が著しい今の女子アナたちにも厳しい言葉が。
「アナウンサーになったからには、『言葉の職人』という自負と、発信する使命を持って仕事をしてきました。今の若い女子アナを見ていると、タレント気取りでSNSのフォロワー数を誇ったり、『いかにセレブ婚をするか?』ばかりを追っている人が目につきます。
フレッシュさなんて、もって数年ですから、やはりスキルを磨いていかないと。若くてかわいいコなんて、次から次へ入ってくるので、一時期チヤホヤされてても、ビールの泡みたいにあっという間に消えてしまうように思います。
キャスターの仕事が、ホラン千秋さんや指原莉乃さん、小島瑠璃子さんのようなタレントに取って代わられている現状に、危機感を持ったほうがいいですね」
女子アナウンサーは、サラリーマンの代弁者であるべし、というのが南さんの持論だ。
「視聴者層のなかでも、いちばん層の厚いのはサラリーマンじゃないですか。サラリーマンの悲哀を、肌でわかっているはずの彼女たちが、こぞってセレブを目指してしまっていることが最大の問題です。
いまは、フリーになって生き残るのが大変な時代なので、セレブ婚を目指す気持ちもわかります。でも、そこに逃げてほしくないし、もっと言葉の職人としての矜持を持ってほしいですね」
みなみみきこ
1956年2月26日生まれ 東京都出身 1977年テレビ朝日入社。歌番組やバラエ ティを中心に担当し『OH!エルくらぶ』ではOLの教祖的存在に。1986年に退社。現在はテレビ、ラジオ、講演などで活動中
(週刊FLASH 2019年5月28日号)