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48歳で亡くなった「河島英五」死の2日前のライブを娘が語る

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2019.06.16 11:00 最終更新日:2019.06.16 11:00

48歳で亡くなった「河島英五」死の2日前のライブを娘が語る

1997年、当時19歳の娘と父

 

 働き盛りの40代。だが、厚生労働省の「人口動態調査」(平成30年)によると、1年間に亡くなった40代は全国で2万2328人。死はけっして他人事ではない。若くして死に直面したとき、何をすればいいのか。

 

 2001年4月、『酒と泪と男と女』などのヒット曲を生んだ歌手の河島英五さんが、肝臓疾患で亡くなった。48歳だった。長女の、あみるさん(41)は、現在タレント・パーソナリティとして活躍している。

 

 

「父は闘病中『俺、孫の顔見れんのかなぁ』と、よく漏らしていました。父のベッドの横に簡易ベッドを並べて、私が病室に泊まったことがあって。父は吐き気と薬の副作用で苦しかったみたいでしたが、『寝られへん……孫の名前考えよう』なんて私に言ってた。

 

 昏睡状態から、奇跡的に目を覚ましたときは『俺、三途の川見た』とか、みんなを笑わせてました。けど、覚悟は決めてたんでしょうね」

 

 病気の進行具合、残された命については、本人には伝えられなかった。

 

「入院中、『C型肝炎』による肝硬変まで進行したときに、布団をかぶって、なにもしゃべらなくなったそうです。

 

 そんなふうだから、お医者さんから『長くないかも』と聞かされたとき、『ちょっと言えないな』って思った。肝硬変であそこまで落ち込む人やから、言葉には出さないようにしようと……」

 

 英五さんは、亡くなる2日前までライブをしていた。最後まで歌手を貫いた姿は壮絶のひとことに尽きる。

 

「あのときは父が、『病院におったら俺は病気になる』と言いだして。病気のため、いろんなコンサートをキャンセルしたのが、忍びなかったんでしょうね。

 

 なかば無理やり、車椅子で行ったはいいけど、痩せすぎでお尻が痛くて、椅子に座れないんです。母が椅子に布を巻いてあげて、どうにか歌ってました。

 

 楽屋だとヘロヘロだけど、ステージに出るとしゃべるし、歌える。私も、このままよくなるんじゃないかって思ってたぐらい」

 

 早すぎる死を惜しまれた父。仲のいい父と娘は、ステージで一緒に歌うこともあったという。

 

「『酒と泪~』を作ったのが18歳。子供のころに死にかけたり、海外をずっと放浪したり、いまでいう48歳より、ずっと濃厚で成熟した人生を送った人だったと思います」

 

 人生を有意義に生きるために、「自分が死ぬときのこと」を、一度じっくり考えてみたい。

 


(週刊FLASH 2019年6月25日号)

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