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藤波辰爾が語る「長州力」殴り合うほどに怒りが増長した
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2019.06.27 06:00 最終更新日:2019.06.27 18:35
伝説のプロレスラー・長州力がついに現役から身を引いた−−。引退興行がおこなわれた6月26日は、プロレス界にとって歴史的な1日だった。ともに伝説を作ってきた藤波辰爾(65)に、今だから語れる「長州秘話」を聞いた。
1982年10月8日、後楽園ホールでの6人タッグ戦で、事件は起きた。
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「長州、僕、猪木さんの順で(名前が)コールされたんだ。年功序列というか、後から入った新人が先にコールされるもの。長州は、その順番が気に入らなかったようだけど……」
長州は藤波より “格下” 扱いされることを嫌い、試合の冒頭から怒りを爆発させた。敵にではなく、藤波に対して。長州の反乱により、場内の空気が一変。タッグパートナーの長州と藤波が火花を散らし、猪木は呆然とした。
「試合中、長州とのタッチプレーがうまくいかないから、おかしいと思った。彼は元オリンピック選手で、新日本プロレスに鳴り物入りで入ってきたから、並み大抵の選手でないことは理解していた。
だけど僕は先輩で、猪木さんと新日本を起ち上げたプライドもあるから、感情的にぶつかってね。本来、対戦チームと向き合わなきゃいけないのに、長州とやり合って。試合後、猪木さんに『てめえら何やってんだ!』と、ぶん殴られた」
長州は、「俺はお前の嚙ませ犬じゃない!」と叫んだ。これが有名な「嚙ませ犬事件」。突然の造反劇に、ファンは驚き、熱狂した。
以降、長州はマサ斎藤、キラー・カーン、アニマル浜口らと「維新軍」を結成。猪木、藤波らの正規軍と抗争を繰り広げていく。そして、長州と藤波の対決は、「名勝負数え唄」と称えられ、伝説となっていく。
「彼は溜まってるものを吐き出そうとしている感じで、あとでどうなろうとかまわない覚悟があったと思う。プロレス的といえば、プロレス的だけどね。いい試合をしようとか、そんなんじゃない。感情だけ。
長州とは、人間の本性の戦いだった。殴り合っているうち、どんどん怒りが増長していった。掟破りの『逆サソリ』とか、本来、相手の技を使うことはしないんだけど、なりふりかまってられなかった」
中堅レスラーに甘んじていた長州は、一躍、プロレス界のど真ん中に立った。「革命戦士」と呼ばれる所以だ。
「新日本が掲げてきた『ストロングスタイル』は、長州がいたからこそ保てた部分がある。僕も、長州という永遠のライバルを得たことで、レスラーとしての芯ができた。彼には感謝しているよ」
ふじなみたつみ
1953年12月28日生まれ 大分県出身 16歳で日本プロレスに入門。1972年から新日本プロレスのエースとして活躍。2015年3月に米国WWEの殿堂入りを果たした
(週刊FLASH 2019年7月9日号)