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女流落語家・立川こはる「落語の所作には、踊りと歌が役に立つ」
芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2019.10.20 16:00 最終更新日:2019.10.20 16:00
「史上最高の落語ブーム」が叫ばれる現在、人気を集める要因のひとつが、「マクラ」とよばれる噺家のフリートークだ。落語本編を補足説明する “お決まりの口上” だったマクラが、いまでは芸人たちが個性を発揮する “雑談芸” として親しまれている。
定型文だったマクラをエンターテインメントに昇華させた代表人物のひとりが、天才落語家・立川談志だ。落語界からバラエティ番組や政治の世界までを縦横無尽に飛び交った、豊かな人生経験から繰り出されるマクラは、長くファンを魅了した。
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談志が創設した「落語立川流」のなかで、いま「マクラがおもしろい」と注目が集まっているのが、若手女流落語家の立川こはる(37、二ツ目)だ。まずは、とある独演会で披露された、彼女のマクラをお届けしよう。
「この時期によく採れる『ノビル』っていう野草は、にんにくのような味で、皮をむいて球根を出して肉と炒めたりすると、ウマいんですよ。『桑の実』は、梅みたいに漬けて、ジュースにして飲むのがおすすめです。
それから、野生のニラは危ないですよ! こないだ似てるから間違えて水仙を食べちゃって、死にかけた人がいるってニュースがありました。みなさん、自己責任でお願いします(笑)」
この日いちばん会場を沸かせたのが、趣味と食料調達をかねた「野草採り」の話題。野草の種類が豊富になる春は、週に1度ペースで、多摩川の河川敷を訪れている。
彼女のマクラには、明確なポリシーがある。
「マクラって、その日を盛り上げるための “魔法” なんです。とくに初めて私をご覧になる方には、落語に入る前にわかりやすく笑っていただき、楽しむ態勢になってもらわないと。
私のマクラは、いわば『日記』。ちょっと珍しい体験談を入り口にして、ものの見方や考え方をお伝えしているんです。自然体で、過度に笑いを意識して話を作ったりしませんので、ときにはオチがないこともあります。芸人なのに!(笑)」
野草採りに代表される「ちょっと珍しい体験」は、こはるの生き方そのものだった。
2001年に理系大学の名門・東京農工大に現役入学し、「勉強できればいいや」と、始まる前の学生生活に見切りをつけていた彼女は、大学で運命の出会いを果たすことに。
「学内の新入生サークル勧誘日のことです。できたばかりの友達と、キャンパスをぶらぶら歩いていると、知らない男の人に声をかけられました。『学科どこ? ご飯食べた? 食べてないの? じゃあおいでよ』って。
それで、“農学部の先輩” だというその人に、近所の蕎麦屋でラーメンをご馳走になったら、『僕が1年生の女の子を連れてきたってうちの部で自慢したいから、ついて来てくれないかな』と頼まれまして。『何部ですか?』と聞くと、『……言えない』と。
かなり怪しかったのですが、『うちの大学、宗教・政治系の部はないから安心して!』と必死で(笑)。一飯の礼もあり、ついていったんです。
そしたら庭に敷いたゴザの上で、一升瓶を抱えた着物姿の人たちが待ち受けていて……。『ヤバイとこに来た』と思いながら話を聞いてみたら、落語研究会(以下、落研)でした」
当時、落語は “冬の時代” でファンも少なく、ダサい芸能だと思われていた時代。落研部員が勧誘時に部の名前を伏せるのも、納得がいく状況だった。
こはるも落語には、興味も知識もまったくなかったが、「兼部OK」という気軽さと新歓コンパで感じた居心地の良さに、入部を決意。以来、落研の部室に通いつめた。
「じつは1年めは、バイトと落研の練習日がかぶっていて参加せず、ほぼ部室に入り浸るだけでした。ただただ、学生生活を楽しむための “居場所” にしていたんです。ところが、人員不足により、2年の後半から私が会長を務めることになりまして……。
うちの落研は、会長の責任がとても重いんです。まずは外の会場を借りておこなう定期公演で、トリをとって大ネタをやること。そして落語の技術で部員に『すごい!』と思わせながら、稽古の指導を一手に引き受けること。
『これはヤバイ』と一念発起しまして、まず落語を聴き込むところから始めました。大学の近くにある府中図書館に通って、落語のCDを片っ端から借りて、『誰の何という噺』という記録をつけていって。会長になった11月から次の1年生が入ってくる4月までで、200本くらいは聞いたと思います」
6代目三遊亭圓生、5代目古今亭志ん生、5代目柳家小さん、3代目桂三木助、10代目金原亭馬生、3代目古今亭志ん朝など、昭和のそうそうたる名人たちの芸を聞き込み、落研の公演ではその真似をして演じた。
「でも、一番おもしろくてタメになったのは、ライブで見る若手の方たちでした。徐々に、『現代で落語をおもしろく語るにはどうしたらいいか』というやり方を考えるようになり、プロの落語会にも足繁く通うようになって。
そんな時期に出会って夢中になったのが、その後弟子入りする、師・立川談春の落語でした」