窮状は自宅でも一緒だった。
「家では家族に無視されていたので、私は自分の部屋に専用の炊飯器を持ち込み、食事は自分で用意していました。でも、米すらない場合もある。そんなときは友人から米をもらい、おかずがなければ、ご飯に醤油だけかけたり。そんな生活を続けてきました。
去年の暮れには、本当に収入がなくなってしまったので、生活保護の窓口にも相談しました。12月27日、(自殺未遂で)ICUに入っているあいだに、市役所から担当者が書類を持ってきましたよ。退院してからどうするかは、まだ決まっていません。今後、生活保護の施設に入る可能性もあります」
今回、本誌は、この清水の “反論” を、ハルマンさんに電話で直接確認したところ、真っ向から否定。だが、金銭をめぐっての、清水の言い分については、一部の事実関係は認めた。
「小遣いが1万円というのも、貧しい食事をしているというのも、本当にお金に困るようになった、この1年くらいの話です。清水に仕事がたくさんあったときは、彼の仕事用の財布に常に10万円を入れて、すぐに補充するようにしていました。
領収書を出してもらっていたのは、私が代表を務める個人事務所の経費扱いにするためです」
“毛皮のコート” は、無理やり清水が買ったものだという。
「あれは『定価が300万円』と言うけど、実際には98万円でした。私はいらないと言ったのに、『俺が買ってやるというのに、面子を潰す気か!』と怒るから買わせただけです」
ハルマンさんは、「離婚に至る経緯は違う」と訴える。
「私が離婚に際して、『嫌いになったわけではない』と言ったというのは大嘘です。私は何度も離婚したいと伝えてきたのに、清水に断わられていた。
ところが、清水も最近はお金がなくなってきて、自己破産したいと言いだしたんです。それならばと、『離婚して、家のローンをチャラにしてあげる』と持ちかけました。
彼は、喜んで離婚届に署名しましたよ。離婚が成立して他人になれたし、二度とあの人とは関わりたくありません」
養女の絹子さんも、「DVはあった」と、涙ながらに本誌に訴えた。いったいなぜ双方の主張がこれほど食い違うのか――。
意外なことに、こんなことがあったあとも、清水には、ハルマンさんと生活をともにしたい気持ちがあるという。
「“家庭内別居” 中も、ハルマンはたまに私のことを気にかけてくれて、『あの人にバナナあげてきて』なんて絹子に言ってくれてね……。私への優しさがあったんです。絹子はバナナを私に渡さず食べちゃうんだけど、『ハルマンとは、心のどこかで通じ合っているはずだ』と思っていました。
それにしても、わずか2カ月弱の間に、何かに仕組まれたようにこんなことになって、この年で家も家族も失うとは、私の人生はいったいどうなっちゃったんでしょうね。私が稼いできたお金は、どこに消えたのか。
結局、ハルマンにとってはカネの切れ目が縁の切れ目だったということなのかな……」
ハルマンさんの告白に対して、清水は弁護士を立てて対応する予定だという。
(週刊FLASH 2020年1月28日号)