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放送開始50年「笑点」知られざる珍妙エピソード

芸能・女子アナ 投稿日:2016.06.26 08:00FLASH編集部

放送開始50年「笑点」知られざる珍妙エピソード

番組開始時の司会者だった立川談志

 

 放送開始50年を迎えた笑点。1966年、番組開始時の司会者が当時30歳の立川談志だったのは有名だ。じつは談志は当初“総合司会”で、大喜利の司会は先代の三遊亭圓楽だった。

 

 当時33歳で出演者のなかでは最年長だったが、プレッシャーに耐えかね、わずか3回で辞退。回答者にまわり、大喜利の司会も談志が務めることになる。

 

 だが皮肉の利いたブラックユーモアの回答を求める談志に、出演者はしだいに反発。最後はレギュラー陣が揃って降板を申し出る騒ぎになり、結局、1969年に談志が司会を降りた。

 

 このゴタゴタのなか、同時に降板したのが大喜利の天才だった柳亭小痴楽。「朝刊と掛けてお坊さんと説く。その心は、今朝(袈裟)着て今日(経)読む」などの名作で知られる。降板後仕事が先細りになり、若くして亡くなっただけに、惜しまれる。

 

 ちなみに座布団10枚の賞品は番組開始当初はなかった。スタートして5年めくらいに、歌丸が「座布団を集めると香港で餃子 を食べられる」とシャレで言ったのを、番組が実現させたのがきっかけだ。

 

 その後、番組の売り物になったのは桂歌丸と三遊亭小圓遊の「罵倒合戦」。

 

「『新聞を見てひとこと』というお題に歌丸が『あ、小圓遊が殺されたよ』とやり、小圓遊が『犯人・歌丸が捕まったよ』と返したのがきっかけ。1972年には番組で『手打ち式』がおこなわれた」(演芸関係者)

 

 この罵倒合戦は小遊三vs.才賀、歌丸vs.圓楽に受け継がれている。

 

 1982年12月には3代目司会者の三波伸介が解離性大動脈瘤破裂で急逝。翌年1月2日放送の特番は愛川欽也と林家こん平(73)の司会でしのいだ。翌週から先代三遊亭圓楽が司会に戻った。

 

 ある時の収録、お馴染みのテーマに乗りメンバーが登場、圓楽が「お待ちどおさまでした。大喜利のコーナー~」と言おうとしたら、こん平がいない。

 

「こんちゃん、どうしたんだい?」と慌てたが、なんとトイレ。圓楽は「じゃあ、始めようか。そのうち来るだろう」と笑わせたが、さすがに撮り直しになったという。

 

 小さな子供からお年寄りまで、誰でも安心して楽しめるお笑い番組と思われがちな『笑点』だが、じつは事件もたびたび起こっている。それこそが、50年の歴史の証しなのだ。

 

(週刊FLASH 2016年6月7日号)

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