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日本映画の歴史は「女優のヌード」で作られた Part1 1950年~1970年代

芸能・女子アナFLASH編集部
記事投稿日:2016.07.03 19:00 最終更新日:2016.07.03 19:00

日本映画の歴史は「女優のヌード」で作られた Part1 1950年~1970年代

写真:AFLO

 

 「20世紀の日本映画を盛り上げたひとつの要因はヌードであった」と語るのは映画史家の鈴木義昭氏である。  

 

 そもそも映画ヌードの歴史は、1956年の新東宝製作、前田通子主演の『女真珠王の復讐』における、お尻出しヌードから始まっている。新東宝とは1950年後半に“エログロ路線”というグラマー女優を起用した作品群を発表し、支持を得た映画会社だ。

 

 鈴木氏が“日本初ヌード作品”を解説する。

 

「男たちに強姦されそうになった前田通子が、彼らから逃げる場面で一糸まとわぬ後ろ姿を披露します。それまでのセクシーシーンといえば、入浴シーンや下着姿が限界だったということを考えると、かなり革新的な場面でした」

 

 ヌードを作品に出す以上、女優が脱ぐための必然性が必要となる。裸になる理由としてよく取り上げられた設定が“海女”だった。 「海女は裸で海に入っても不思議ではありませんからね。新東宝の『海女の戦慄』、『海女の化物屋敷』などもこうした経緯から生まれました」  

 

●『肉体の市場』観たさに映画館に若者が殺到!

 

 1960年代になると、テレビを観る文化が広がり、映画の立ち位置は徐々に変わり始めた。

 

「1950年代において、食事のあとには家族で映画に出かけるのが一般的でした。しかし、その役割はテレビに取って代わる。そこで、映画をよく観ていた若い男性層をターゲットにした映画が作られ始めたのです。

 

 この時期に台頭し始めたのが、ピンク映画で、1961年の新東宝倒産後に、独立プロ(少数のプロデューサーや監督たちによる製作プロダクション)により製作されました」

 

 そのピンク映画第一号となったのが、香取環主演『肉体の市場』。この映画は、警察の取り締まりに遭い、いくつかのシーンをカットされたうえで上映された問題作だった。

 

 だが、それが宣伝となり映画は大ヒット。連日、映画館の扉が閉まらなくなるほどの大入りとなったのだという。  

 

●新人女優から歌手までロマンポルノに続々出演

 

 1970年代に、経営難に陥った大手映画会社の日活が、「低予算で利益が上がる映画」として挑戦したのが、ロマンポルノである。

 

 1971年には第一号にあたる白川和子主演の『団地妻 昼下りの 情事』が公開。日活ロマンポルノには当時、新人女優だった田中真理をはじめ、歌手の畑中葉子など、さまざまな女優たちが出演することになる。

 

 ロマンポルノがピンク映画とは違う点について、鈴木氏は「物語性が重要視されたこと」と話す。

 

「映画でヌードを描くには、先に述べた、脱ぐための舞台を用意することだけではなく女優が脱ぎたいと思うような筋書を用意する必要がある。つまり、作品性を高めなければヌード映画を撮ることはできません。こうした事情が日本映画を育てる一助になりました」

 

 1970年代に至るまで日本映画は、女優を脱がすために作品性を高めた製作陣、有名になるためにヌードを披露した女優、作品を支持する大衆という構図のうえに成長を遂げてきたのである。

 

(週刊FLASH 2016年6月21日号)

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