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女子アナ日下千帆の「美女は友達」AKB48からアナウンサーへ

芸能・女子アナ 投稿日:2020.04.09 16:00FLASH編集部

女子アナ日下千帆の「美女は友達」AKB48からアナウンサーへ

日下アナ(左)と中村さん

 

 新しい生活が始まる4月を迎えました。初々しい新入社員を見て、初心を思い出すビジネスマンも多いのではないでしょうか? 今回ご紹介する美女も、今まさにフリーアナウンサーとして新たな世界に挑戦しようとしている中村麻里子さんです。

 

 

 アイドル好きの方はご存知かもしれませんが、中村さんは元AKB48のメンバーで、その後、サンテレビ(神戸)の局アナとして活躍されました。言うなれば、難関選抜を突破する達人です。

 

 中村さんは、物心ついた3才の頃から、テレビに出たいと思っていました。具体的に考えるようになったのは、『女王の教室』というドラマを見てからです。同世代の子供たちが活躍しているのを見て刺激を受け、小学校6年生のときに子供劇団に入り、お芝居を学びました。
 

 15才のときに、AKB48第9期研究生のオーディションを受け、受験者約1万人のなかから、合格者15人に選ばれました。同期には横山由依さんや、島崎遥香さんがいらっしゃいます。

 

「何百人も在籍するメンバーのなかから、1回の公演でステージに上がれるのは16人しかいないのです。当時は、毎日、朝9時から21時までダンスレッスンが続き、週2、3回の公演をこなしていました」

 

AKB48時代

 

 それでも中村さんにはなかなかスポットが当たらず、焦りの日々が続きました。毎日、自主練を重ね、「努力しているのになぜ」という悔しい思いがあり、そこから大学に行こうという新たな目標を立てました。そんな中村さんの頑張りを、ちゃんと陰で見ているスタッフがいたのです。そして、その噂は、プロデューサーの秋元康さんの耳にも届き、大きなチャンスがめぐってきました。

 

「『KONJO』という曲でセンターを務めさせていただきました。へこたれずに工夫して頑張れ、という内容の歌詞でした。秋元さんが私のために書いてくださったのだと信じております」

 

 努力が報われ、アイドルとして頂点を極めた中村さんの次なる目標は、アナウンサーでした。

 

「秋元さんからは、そんなのは宝くじが当たるようなものだと言われましたが、それでも受験の意志は変わりませんでした。就活には出遅れましたが、間に合う局を何社も受験し、最終的にサンテレビジョンに決まりました」

 

サンテレビ時代

 

 サンテレビでは、ニュースや夕方の情報番組などを担当されたそうですが、アイドル時代との違いは、どんな点で感じますか?

 

「就業時間中は組織の一員としてお仕事するため、気疲れすることが多かったです。また、衣装やメークが自前のため、自らブランドと交渉して衣装提供していただいたこともありました」

 

 そうなのです。スタイリストなしの番組の場合、うまくアパレルメーカーと提携できないと、アナウンサーの衣装代は、かなりの出費になるのです。

 

「これから挑戦してみたいのは、ドキュメンタリー番組のナレーションですね。しゃべることが好きなので、このお仕事を長く続けていきたいです」

 

 努力家の中村さんなら、フリーになっても「チャンスの順番」がいつかきっと来ることでしょう。歌って踊れるアナウンサーとして、これからもテレビや舞台で活躍されてください。

 

日下千帆(くさかちほ)
 1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社し、編成局アナウンス部に在籍。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。2012年より、東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当

 

撮影協力:ぴなふぉあ

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