芸能・女子アナ
香取慎吾の研究「幼少期はザリガニ食べてお腹を壊したことも!」
芸能FLASH編集部
記事投稿日:2016.09.19 14:00 最終更新日:2016.09.19 16:09
「独立騒動で、いちばんやる気をなくしたのが香取だった。3月のドラマ『家族ノカタチ』の打ち上げでは『自殺するかもしれない』と口にしていたという。精神的に追いつめられていたようだ」(芸能事務所関係者)
悪夢が現実となった国民的グループ・SMAPの解散。「存続派」の木村拓哉(43)が旅行で不在時に、稲垣吾郎(42)、草彅剛(42)、そして香取慎吾(39)の“解散派”がジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏に直訴した。
解散に慎重だった中居正広(44)は3人の意向を尊重し、今回の決定となった。木村はただ驚くだけだったという。“解散派”の中心となった香取慎吾の素顔に迫った。
1977年1月、香取慎吾は神奈川県横浜市に生まれた。美術商だった父と、家で着付け教室を開いていた母は、地元でも評判の美男美女だったという。
「お父さんは背が高くカッコよくて、まだ60代前半と若い。お母さんは若いころに『TVジョッキー』のアシスタントを務めたほどの美人です」(地元の人)
長男としてすくすく成長した香取は、やんちゃ坊主だった。近所の野山を走り回り、草でおおわれた防空壕の中で寝泊まりした。お腹がすいて、ザリガニを捕って食べ、お腹を壊したこともある。ほかの子供がサッカーなどをしている横で、虫を追いかけているような少年だった。
香取がジャニーズ事務所のレッスンに通うようになったのは小学5年のとき。母が履歴書を送った。以来、毎週日曜に、横浜市の自宅から通った。
「香取家はとても仲がよく、家族で週に一回ほど食べに来てくれました。タン塩やハラミを好んで食べていましたね。ファンが騒いでサインを求めることがあった」(近所の焼き肉店)
1988年、香取は最年少の11歳でSMAPのメンバーになった。デビュー当時を知るテレビ局関係者はこう語る。
「12歳でSMAPのレギュラー番組『アイドル共和国』に出演したとき、ロケ弁で初めて『叙々苑』の弁当を食べたらしく、2個おかわりしていた。当時は中居にベッタリだった」
まだ、メンバー間の仲はよかった。
「『夢がMORI MORI』に出演していたころ、香取くんの家にメンバー全員が遊びに来て、近くにある公園で釣りをしていました」(地元の主婦)
芸能界で順調にステップアップしていく一方、学校生活では孤独になった。
「売れるにつれて学校に来なくなった。来ても机に伏して寝ているだけ。体育の時間もです。小学校からの友人と、どんどん疎遠になった」(中学の同級生)
現在、香取の実家は意外な場所にある。横浜市から引っ越し、逗子市に一戸建てを構えたのが2004年。それを2009年に売り、「現在は静岡県内のリゾート地で生活している」(別の地元の人)。
そこは全280世帯でプールがある豪華マンションだ。本誌が訪ねたとき、両親は不在だった。近隣住民はここで香取を見たことはないと口を揃える。
横浜市内に香取の弟が住んでいるが、近所の住民は「両親は来ますが、慎吾くんは見ませんね」と語る。
横浜市で商店を経営する親戚も、「慎吾は忙しいからなかなか会えない。解散のことは全く聞いていない」という。故郷とも疎遠になったようだ。
若くして芸能界に入った香取。業界外の友人は少なく、業界内の同世代は自分より芸歴の少ない“後輩”ばかり。
「香取は積極的に人に関わろうとはしない。共演者と飲みに行くことは稀だし、主演するドラマの収録現場でさえ、休憩時間になると、楽屋に閉じこもってしまう」(前出・芸能事務所関係者)
そんな香取が頼っていたのが、ジャニーズ事務所を退社したSMAP元チーフマネージャーの女性だった。
「彼女は不器用な香取のために、『忍者ハットリくん』や『西遊記』など、過去に映像化されていて、役作りのお手本がある作品への出演を勧めた。
またファッション好きな彼に本を出させ、『将来はファッションデザイナーもいいんじゃない?』など、特性を見抜き、やる気を出させるプロデューサーでもあった。香取は彼女のことを全面的に信頼していた」(前出・芸能事務所関係者)
独立騒動で、この女性マネージャーを裏切った木村を香取は絶対に許せなかった。
「事務所には香取をコントロールすることができる人はいない。本人はもう芸能界を引退してもいいと考えているそうです」(前出・芸能事務所関係者)
香取・草彅・稲垣による「解散テロ」で、SMAPの歴史は25年で終わってしまった。
(週刊FLASH 2016年9月6日号)