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新朝ドラ主人公モデル・広岡浅子はピストル常備の女傑

芸能 投稿日:2015.10.09 06:00FLASH編集部

新朝ドラ主人公モデル・広岡浅子はピストル常備の女傑

広岡浅子 写真提供:大同生命

いまから166年前――。1849年、京都の三井家に生まれ、幕末から大正までの激動を日本人初の女性実業家として生きた広岡浅子。NHK朝ドラ『あさが来た』で波留(24)が演じるヒロイン・白岡あさののモデルが彼女だ。

 

朝ドラでは今週、あさが「加賀屋」の白岡新次郎に嫁入りするまでが描かれるが、現実の広岡浅子は1865年、数え年17歳で大坂(大阪)の両替商「加島屋」の広岡信五郎に嫁いだ。同じころ、3歳年上の姉・春も「天王寺屋」(朝ドラでは山王寺屋)に嫁いでいる。

 

時は幕末。両替商の経営は立ちいかなくなり、天王寺屋は破綻。加賀屋も急激に衰退していった。そんな危機に、夫・信五郎に変わり経営を立て直したのが、浅子だった。

 

なかでも有名なのが、1884年ごろ、36歳になった浅子が、周囲の反対を押し切り九州の炭鉱経営に進出したエピソードだ。『あさが来た』の時代考証を務める志學館大学の原口泉教授が話す。

 

「護身用にピストルを胸に忍ばせ、自ら炭鉱に乗り込んで坑夫たちを叱咤したといわれています」

 

荒っぽい男たちが半裸で働く当時の炭鉱で、洋装の女性が陣頭指揮をとる姿は話題になった。朝ドラの原案『小説 土佐堀川』を書いた古川智映子氏は、ピストルのエピソードが浅子に興味を持ったきっかけと語っている。

 

ただ、浅子がピストルを持っていたと書かれている資料はじつは少なく、入手経路や型など、まったくわかっていない。史実かどうか疑う声もある。

 

「一説には、広岡家の言い伝えでは浅子は“失敗したら死ぬ”覚悟でピストルを携帯していたそうです。いざというときは本当に撃つ覚悟だったのでしょう。高杉晋作が上海でピストルを手に入れたとき、浅子と親しい五代友厚が上海で高杉と仲よくしています。五代から浅子にピストルが渡った可能性はあると思います」(原口教授)

 

『あさが来た』では、このシーンをどう演出するかが楽しみだ。

 

(週刊FLASH 2015年10月20日号)

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